2015.08.11

無理心中用の核爆発設備とか

もう冷戦は過去の話。今でも、「第3次世界大戦で核ミサイルが飛び交って億の桁の人が死んでしまう」というような心配をしている人は、おそらく少数派だろう。1980年代くらいまでは、まだわりと本気でかなりの人が心配していたが、私自身も含め、大抵の人は過去の話だと思っているはず。
そして、過去の話であるがゆえに、日本の核武装の可能性に対する関心も低い。でも70年前のアメリカに作れたものが、今の日本で作れないわけはないし、材料はいくらでもある。不純物の多い発電用の核燃料でも、核爆弾を作れないというわけではない。作りにくいというだけ。
といっても、日本製核弾頭が自衛隊の飛行機に配備されるとか、どこかに大陸間弾道弾の基地ができるという可能性は、たぶんない。準備するにはかなりの時間がかかるし、日本国がそんな動きを見せれば、米中ロシアの3大国がまとまってでも、阻止に動くと思う。ありとあらゆるものを貿易に依存している日本は、基本的に戦争の準備をすることはできない。
ただ、ひょっとして、攻撃用ではなく自殺用の核爆発施設なら、ありうるかもしれないという気が漠然としている。地球上のどこで爆発しても皆殺しになってしまうから、もはや運搬の必要がない、全てを道連れにした無理心中用の核爆弾というのは、1960年代くらいのSFにあったような気がする。輸送することを考えず、建築物としてつくるのであれば、爆発力に上限はほとんどない。「アイツを殺してオレも死ぬ」というのは、個人のレベルであれば珍しくない発想だ。他国との戦争用ではなく自殺用だから憲法第9条には、少なくとも形式上は抵触しない。
実を言えば、自動化されている今のアメリカとロシアの核ミサイルだって、結構それに近いものがあるのではないかな。一度スタートしたら、止める暇もなく全滅まで突っ走ると。
結局、核兵器は「使われるはずはない」という前提で配備されている飾り物だ。単なるこけおどし。
でも、誤動作はありうるし、いい加減、火薬庫で火遊びするようなまねは卒業したほうがいいと思うのだが、反知性主義が根強い大国では、核兵器は神が我々に与えた特別な力だから、自分たちに被害が出るはずはないと本気で信じている人がうじゃうじゃいる。まあ、知ってしまったら、ノイローゼになって夜も眠れない状態になるから、知らないままでいるほうが心の平和を保てるというのは、確かだ。ヒトが当座を生き延びるにあたって必須の姿勢なのだと言ってもいい。でも、いつまで、こんなことを続けるのかな。
毒ガスが国際条約で禁止されているのに核兵器がそうでないのは、戦勝国は、毒ガス攻撃を受けたことはあるが核攻撃は受けたことがないから。だとすると、実際に核兵器の凄惨さを体験しない限り廃絶は無理かも知れない。もうしそうだとしたら、彼らに一度、可能な限り小さな被害で大やけどを経験してもらうという矛盾した期待を持つしかないのだけれど、どこの国の人であれ、無関係な一般人が死ぬのは悲しいと思う。
核爆発を起こさずとも、核兵器の熱線を直射で受けた時の悲惨さを実験室のなかで再現することは別の技術手段で可能だ。反戦は自分勝手だという滋賀県の議員さんは、試しに、人間の体がどういうふうになるかを自分の身体で人体実験してもらって、国民に示してくれないだろうか。そのうえで、戦争の勧誘をして欲しい。
嫌なニュースをたくさん聞くと、厭世的な気持ちになり、「どうにでもなれ。知ったことか」という気持ちになる。これは、たぶん自然な心因反応。思想の右左を問わず、なんであれ戦争の話をし続けることのできる人たちの鈍感さが、ある意味羨ましい。いや、単に私の能力の限界に過ぎないのだが。

2014.11.25

専門家は、意外なところに敏感に反応する

これは、先日書いた、『専門家は、専門用語に敏感に反応する』の続きの話。
あれから4週間たって、先週の土曜日にまたメンタルクリニックに行き、前回の血液検査の結果を教えてもらった。なんら問題なし。ただ、わずかにコレステロール値が基準範囲よりも上で、主治医は「少しだけ越えているという程度なので気にしなくてもいいでしょう」と言った。そこで、実は今年の春の健康診断の結果では明らかに許容範囲外だったこと、そのため内科に通いつつ食事を減らし体重も10キログラムくらい落としました。それで、ここまで改善したのでしょうねと言ったら・・・

おや? これはまた、面白い。普段なら私が何を言っても、医師として一歩引いた立場からやや冷たい感じで私と会話している先生が、何やら急に興味を持って「どうやって体重を落としましたか?」と聞いてくる。あれ、この先生が感情をあらわにすることもあるんだ、と思いつつ、「私の場合、太り過ぎの最大の理由は、やることがないときに空腹でもないのに余計なものを暇つぶしに食べるというだったので、それをなるべく控えるようにして、何かを口に入れたいときはお湯で溶かして作るインスタントのコーンポタージュなど、温かい液体を口にすることにしました。濃厚なスープであっても、容量に対するカロリーは普通の固形物の食品よりもずっと低いので、それで気が紛れればいいかなと。今は、粉末スープのたぐいを何種類か台所にストックしていて、時々飲むようにしています」と説明する。

見れば、先生、何やら熱心にカルテにメモをとっている。ええと、これ、何か重大なことなんですか? 確かに自己管理できるようになったという意味では大きな進歩かもしれないけれど、ときどきやってくる抑うつ感は今までと大差ないし、冬になったせいか最近は夜の寝付きもあまりよくない。と、こちらが困っていることを話した時には、「布団に入って寝付くまでに1時間かかるという程度なら、まあ心配ないでしょう」とあっさり返されてしまったのに、何が先生の興味を引いたのやら。説明してもらおうかとも思ったけれど、どうせ説明を聞いて知識を増やしても、うつ状態が改善するわけでもないとわかっているので、報告するだけして診察室を出る。あとはさっさと薬局に行き、いつもの抗うつ剤と睡眠導入剤を買って帰宅するだけ。そのあとの午後は、特になにもせずネットのアニメ系掲示板を見たりマンガを読んだりするだけの週末だった。
いったい何が、先生の興味を引いたのだろうか。はて?

2014.11.11

『お祈りメール』で門前払いを食らったノーベル賞受賞者と、マスコミの懲りない人々

何年か前から使われ始めた言葉かは知らないが、「お祈りメール」という言葉がある。企業の人員募集に対して応募したときに届く、「貴殿のご活躍をお祈り申し上げます」という言葉で締めくくられた不採用通知のことだ。
似たような言い回しは英語にもあって、
“Allow us to keep your name and contact information in our database if an opening suitable for you becomes available in the future.” (将来あなたにふさわしいポジションが空くかもしれないので、あなたのお名前と経歴を記録に残させて下さい)
と、いうような言葉で締めくくったりする。だが、そんな社交辞令を信じるのはバカである。そもそも、「あなたの名前と経歴を記録に残す」とは、極端に悪意に解釈するなら、「もう一回応募書類を提出する必要はない。二度と応募するな」という意味合いもないではなく、俗にいうハリウッド方式で「使う気になれば、こちらから連絡する。こっちは忙しいんだから、いちいち問い合わせの電話なんかしないでくれよ」という意味もありえないではない。

さて、かつてTOEICを受験したとき、ある回のテストに出題された不採用通知メールの文面に、まさにそういうものがあった。『採用選考というのは非常に難しいことで、御返事が遅れて申し訳ございません』とクドクド謝罪する書き出しで始まり、その先頭の1行を見た瞬間に不採用通知だとわかるくらい明白な不採用通知である(採用通知なら、連絡が遅れたことを詫びるのは文末である)。当然ながら、締めくくりにある『代わりのポジションがあるかもしれない』も、馬鹿馬鹿しいくらいあからさまな社交辞令だと思った。
そして私は、その問題でひとつ誤答をした。それは、「このメールには何が書いてあるか」を、4つの選択肢から選ぶ出題だった。語学のテストとしては、選択肢として、その社交辞令の表向きの内容どおりの意味に受け取る短文を選ぶのが正解だった。なぜなら実のところ、出題の中にあった残り3つの選択肢は、その不採用通知メールには書かれていない話だったから。消去法で選ぶと、正解になりうるのは、確かに社交辞令を真に受ける選択肢しかない。とはいうものの、社交辞令をそのまま額面通りに受け取るような脳天気な選択肢を、私はどうしても選べなかった。たまたま私は当時失業中だったので、あの試験問題の文面は読んでいて辛かったなと今でも思う。
日本企業のお祈りメールの文章が日本語の試験に出たとして、「この会社は応募者の成功を祈っている・・・ イエスかノーか?」と出題されたときにイエスと答える人は、初級の日本語学習者であっても、たぶんいないと思うよ。社交辞令は世界中にある。

この種の『お祈り申し上げます』の話題で、少し前にニュースで報じされネットでもちょっとした騒ぎになったものとしては、かつての勤務先にたいして和解と共同研究をマスコミの記者会見で申し出た今年のノーベル物理学賞受賞者、中村さんに対する日亜化学の礼儀正しい返答がある。

「中村教授が、貴重な時間を弊社への挨拶などに費やすことなく、今回の賞に恥じないよう専心、研究に打ち込まれ、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるようお祈りしております」

正直な話、大変申し訳無いとは思うが、あの「お祈りメール」を見てニヤリと笑わなかった学者、技術者はいないと思う。なぜなら地道に先行研究をしてきた赤崎先生ならまだしも、中村さんが受賞したのは、いわば「ノーベル商品賞」であって物理学としての価値などないから。もちろん、世の中の役に立つ商品を安く大量に生産する方法を見つけ出すことは、研究室の中で100個試作してひとつできるかどうかというような「売り物として話ならない珍奇なもの」を作ることよりも、社会的には意味があるだろう。でも、世界で最初に発光ダイオードというものそれ自体(色は赤だった)を発明したアメリカ人には、ノーベル賞は贈られていない。科学的な価値という意味では、後者のほうが100万倍貴重だと私は思う。が、赤色発光ダイオードが発明された時代には、もっと基礎科学的な研究分野にノーベル賞が贈られていたので、商業的に素晴らしいという研究は、最初から評価の候補や対象にはならなかった。ところが近年になって、ノーベル賞選考委員たちは、世間に受けるネタを選ぶようになってきた。難しすぎて一般人に理解できない賞だと、世間におけるノーベル賞の価値が下がるからかもしれない。わからないこともない方針転換だけど、それならいっそ、iPod を発売したアップルのジョブズやWindowsのビル・ゲイツにノーベル商品賞を贈ればよい。

ところで、この日亜化学のコメントを見て、私が即座に思い出したのはイギリスのバーナード・ショーとチャーチルの間でなされたという手紙のこと。バーナード・ショーが、
“I would be honored if you would come up with your friends, if any.”(私の作品の舞台を見に来ませんか、お友だちも誘ってきてください。もしいるなら)
と、書き、チャーチルが
“I'm sorry I have another plan on the opening day. I would be glad to come on the next, if still run.” (あいにく初演の日は都合がわるいのでお伺いできません。翌日に参ります。もし、まだ上演されているなら)
と、切り返すという話だ。

できすぎているので実話ではないかもしれないが、それはともかく、日亜化学のコメントの最後にある「ノーベル賞に恥じない、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるようお祈りしております」を見て、私はその後に続く「もしできるならね」という嘲りが隠れていると、読み取ってしまった。そう、あのお祈りメールは「ノーベル賞に値する仕事なんかやったことのないお前さんが、いったい何をぬけぬけといっているの。少しは恥を知りなさいよ」という意味である。蛇足ながら、もし今回のお祈りメールの締めくくりを英語に直訳するとしたら、たとえば、
“We wish Prof. Nakamura would be able to continue his study to achieve something great as a development of physics that could be suitable for and not degrade the Novel Prize.” くらいではないだろうか。かなり無礼な表現だが、文頭に We cannot completely deny his possibility currently, so などを加えると、さらに悪意に満ちたものになると思う。
率直なところ、彼が将来「「ノーベル賞に恥じない、物理学に大きく貢献する成果」を生み出す可能性は、私はゼロに近いと思う。さらにいえば、学問としての価値はもとより、裁判の二審判決でもわかるように特許としての商品価値もそんなに高くない。なぜなら、かつて青色LEDの製造で一時的に使われただけで、あの裁判がなされていた当時でさえ、もう使われていない陳腐なものになっていたという動かぬ証拠がいくつも出てきたからだ。彼が和解に応じたのは、最高裁で争った場合には、さらに不利な事実をつきつけられ、和解の6億円さえ消えてしまうかもしれないと弁護士が忠告したからだ。
中村さんは科学者ではなく、エンジニアとしても使い物にならない。彼がアメリカで立ち上げたベンチャー企業は、かなりの金をかき集めてされたものの成果を出せずに破たん寸前である。今回の受賞で篤志家がお金を出してくれるはずだから、まだしばらくは大丈夫だろうけれど。今回、中村さんは日亜に共同研究を持ちかけること自分の会社の延命をもくろんでいるのだなと、そう、私は受け取った。要は、自分の寿命が来て安らかな老後を過ごして死んだあとでなら、自分の会社が破綻しても、痛くも痒くもないということ。
一方、ノーベル経済学賞受賞者が作ったLTCMは悲惨極まりない末路を迎えた。ノーベル経済学賞の対象となった理論によれば30万年に1回しか起こらないはずになっていたことが、設立後わずか数年で起きて盛大に破綻した。その結果、大量の投資家や金融機関が資金を失い、全世界の経済が大混乱に陥るというスキャンダルだ。その時点ではノーベル賞受賞者もそれを選考したスウェーデン銀行の関係者も、みな生きていたから、みんなさぞかし辛かったことだろう。実際、ノーベル経済学賞の廃止そのものさえ論じられたくらいだ。(そもそもノーベル賞が作られたあとで、それに便乗して作られた経済学賞は、ノーベルの名をかたっているだけで本物のノーベル賞とはなんの関係もないのだが)
中村さんは60歳、彼が金をかき集めている事業が彼の寿命より長持ちする可能性はどれくらいだろうか? 少なくともまともな半導体メーカーや電子部品メーカーなら、係わり合いを持とうとは思わない。金を出す連中がいるとしたら、LTCM にいっぱい食わされたの同様な投資ファンドくらいだろう。ただ、連中もそんなに馬鹿ではないので、証券化して一般人に権利を売るなどして、他人の金で投資するはずだ。

私は科学者ではなく技術者なので、技術者をきちんと認めてくれる時代が来てほしいと心底思っている。でも、技術者にとって、ノーベル賞に賞金の額面以上の価値はない。そんなものよりも、あの少しあとにニュースになった、『浜松ホトニクスの開発した直径20インチの光電子増倍管が、米電気電子学会(IEEE)から技術分野の歴史的な業績をたたえる「IEEEマイルストーン」の認定を受けた件』の方が、今回のノーベル・新商品開発賞よりも技術者にとってははるかに高い名誉だと思う。なぜなら、あれは、本当のノーベル賞受賞者をこの世に生み出すために必須な、世界でもまれな電子デバイスを作り続けてきたという評価だから。

日亜化学が高輝度光寿命な青色LEDを商品化したそのとき、私も勤務先でサンプルをとりよせ、あまりの眩しさに感激したものだった。しかし、その後、マスコミが奇妙な虚像を創作しはじめ中村さんもそれに踊ってしまったのを見るようになってからは、もはやこの人は技術者ではなく(科学者であったことは最初からない)、芸能人だなと冷ややかな気分にしかなれなかった。一番悪いのは、虚像を創作して記事を売りさばいたマスコミだが。
未だに苦労話としていまでも面白おかしく報じられている、実験中に爆発事故を何度も起こす化学工場の話が典型的である。それが本当の話だったなら、日亜は2度目の事故の時点で操業停止を食らったはずだし、危険で違法な実験として行政処分を受ける。消防署なり労働基準監督署なりに事故の事実があったかどうかを問い合わせた記者はおそらくひとりもいない。「マンガにでてくる町の発明おじさん」のイメージで作った作文に過ぎない。従業員が死んでも不思議ではないような事故を繰り返し起こすような研究なら、会社にはそれを禁じる監督義務があり、放置や黙認をしていいわけがない。会社が処罰される。

中村さんは、日亜に対して「会いたい」という連絡を一切していない。徳島大学に賞金を寄付したいという話も、マスコミ向けの会見の場でだけしていて徳島大学には伝えていない。つまり彼の言動は、あくまでもマスコミ向けのパフォーマンスであり、演技として記者会見の場で述べてみせているだけということである。当人も自分のレベルはわかっているだろうから、マスコミの威を借りて世間にアピールすることはできても、電話の一本さえ、日亜に直接かけることは怖くできないのだ。それどころか、なんとか徳島に行きたいと思いつつも恐ろしくて徳島に行くことさえ自分ひとりではできない。だから、マスコミの連中にぞろぞろと付き添ってもらって、マスコミのカメラの前で『日亜科学を許す寛大なノーベル賞受賞者様』を演じることを画策した。中村さんは、率直な話、「STAP捏造事件」の理研の小保方晴子さんほどはひどくないけれど、あの件で自殺に追い込まれた笹井芳樹さんのような実力、実績は何もない。むしろ、「全ろうの作曲家」として活動した佐村河内(さむらごうち)守さんに近い。マスコミが作って売りさばいているくだらん虚像だ。STAP細胞よりはましだが、ニセ作曲家とはいい勝負している。

要するに、それらのスキャンダルと同様に物を作らない連中が、イロモノを書き散らしているなのだけである。三原色そろったから、きれいなイロモノ記事を書けるようになったわけですな。こんな人たちにものづくりを語って欲しくない。懲りないやつらだ。

2011.11.29

サツマイモを観葉植物として愛でる日々

近所のサツマイモ畑が収穫を終え、道端にサツマイモのつるが散らばっていた。よく見ると花とつぼみが少しついているものもある。捨てられているものだからもらってもよかろうと思い、30センチくらいの切れ端を拾ってきて、植木鉢に植えた。

サツマイモはアサガオの親戚で、アサガオと同じ短日植物なので、日が短くなれば花が咲くのだが、残念ながらアサガオほど日照時間の短縮に敏感ではないため、実際には花が咲く前にイモの収穫期を迎えることが多く、実際に花を見かけることはあまりない。

一方、サツマイモはアサガオと違って挿し木でいくらでも増える。拾ってきたつるもペットボトルに水を入れて指しておいたらわずか2、3日ではっきり根が出始めたので1週間くらいしてから大きめの植木鉢に植えた。今はもう花は終わってしまったが、まだつぼみになりそうな芽があるので、2週間くらいしたらまた花が見られるかもしれない。少し液肥を与えて様子を見ているのだが、葉の色が非常に濃くて見た目ににぎやかな感じがするので、今のところは観葉植物として楽しんでいる。ネットで調べたところでは、本当に観葉植物として葉に白い模様のあるものや、花をつけやすいものもあるそうだ。おもしろそうだけど、でも、どこで売っているんだろうか?

2006.09.11

小惑星134340

冥王星が「普通の惑星」から「矮惑星」という新しく作られたグループに配置換えされ、小惑星としての通し番号を与えられたそうだ。134340というのが、その番号である。これはこれで、カッコイイと思うのだけど、どうだろうか?

少し前の、サイエンティフィック・アメリカのポッドキャスティングでは、冥王星を左遷人事を食らった人に見立てて、冥王星が同僚に嘆いているセリフがあった。

同僚:  机の片付けは済んだかい?
冥王星: 私は75年間この地位にいたのに、今さらあんまりだ。

まあ、そういうこともあるでしょう。

2004.10.26

ノイズキャンセリング・ヘッドフォン

先週、ソニーのノイズキャンセリング・ヘッドフォン MDR-NC6 を買った。ヘッドフォンのスイッチを入れると、電車の騒音が抑制され快適である。

普通のヘッドフォンで電車通勤をしながらCDやテープを聴いていると、電車の騒音で音声が聞き取れないことがある。だが、騒音に負けない大音量にして聞くのは耳を悪くしそうだし、電車が止まって騒音が小さくなった時には音声のほうがうるさくてかなわい。そうかといって遮音効果の高い密閉式の大きなヘッドフォンは重くて暑苦しいし・・・ と、思って、オーディオに詳しい友人に相談してみたところ、週末の買い物に誘ってもらえた。

彼の知っていたオーディオ専門店で、実際にヘッドフォンの試聴することができ、確かに店外から聞こえていた道路の騒音を抑制する効果があったので、それを購入して使っている。このヘッドホンは両脇に小さなマイクロフォンが組み込んであり、そこで拾った周囲の騒音を逆信号にしてヘッドフォンのスピーカーに与えることによって、最終的に耳に届く音から周辺の雑音を打ち消すように工夫されている。

騒音が完全に打ち消されてなくなるわけではないが、それでも確かに電車の騒音は抑制されCDの音声が聞きやすくなった。CDを再生していない状態、つまりヘッドホンに音声が来ていない状態で、ヘッドホンのスイッチをオンオフしてみると、明らかに周辺の雑音の大きさが変わる。また、家で試してみると、パソコンの冷却ファンの音が明らかに小さくなる。

また、マイクを指で隠す(やっちゃいけません)と打ち消すべき雑音がマイクに入らなくなるので、雑音の抑制効果もなくなる。強い風が吹いているところで使うと、マイクに風が当たって発生する雑音(マイクに息を吹きかけたときに聞こえるような風の音)が聞こえるので、そういうときは逆効果だが、これは原理的に言ってしかたないと思う。

マイクで周辺の騒音を拾ってそれをスピーカーから差し引くという理屈は、アイデアとしては単純だが、実際に製品として安定に動作させるにはかなりのノウハウが必要だと思う。工場の騒音などから作業員を保護するための高価なものがあることは知っていたが、数千円で買える民生品として入手できるのはうれしい。

2004.08.29

リンゴの葉

リンゴの中の種が根を出していたので、特に期待することもなく鉢に植えてみたところ、何事もなく芽を伸ばし双葉が開き、今では小さな本葉も生えている。サクラの葉を思わせる周辺がぎざぎざの葉で、表面にきれいな光沢がある。リンゴとサクラは、どちらもバラ科の植物なので、葉の形が似ていても不思議はないのかも知れない。美しいが食えないものの代表のように言われるバラだが、キイチゴもナシもバラ科であり、目も口も楽しませてくれる多彩な顔ぶれのファミリーである。

我が家で芽を出したこのリンゴは、かりにうまく育って実をつけたとしても、売っているリンゴと同じものにはならないはずだ。なぜなら、これは「雑種」だから。リンゴに限った話ではなく、多くの植物が、自分自身の花粉を受粉した場合の結実を邪魔する自家不和合性という面白い仕組みを持っている。近親交配を防ぎ遺伝的多様性を保っているのだ。品種が同じ別の木の花粉をつけても、遺伝子はほとんど同じなので、やはり結実する確率は低い。確率を高めるには、他の品種の花粉が必要になる。園芸の入門書には、「もしリンゴを育てるなら、受粉の相性のよい品種の組み合わせを同時に用意すること」という注意書きがある。

自家不和合性というのは程度問題なので、観賞用の小さなリンゴなどには自家受粉でも実を結びやすいものもあるが、スーパーで売られている普通のリンゴなら、農家の人が用意した「相性のよい別品種のリンゴ」の花粉によって実ったもののはずだ。つまり、中の種は雑種である。

いや、別に、このリンゴを育てて何をどうしようという目論見があるわけでもないし、雑種でも一向に構わない。だいいち実がなるまでに何年かかることやら。とりあえず観葉植物代わりに育ててみようと思う。

2021年10月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ