2016.04.03

うつ病の自分に向けた呪文を考えてみた

【要点】 もちろん二枚舌は人としてダメである。しかし、状況に応じて、自分を雇い主と使用人の立場に置くという二重人格の使い分けは重要な事に違いない。とくに、いつも迷ってばかりいる私のようなタイプは、強者の「具体的な計画のはっきりした」命令でノルマを課せられた時には。悩まず真面目に仕事を完遂できることがおおい。 逆に仕事中に悩み始めると、私の場合は全作業が何ヶ月もストップする。だから、今の自分は、雇い主なのか使用人であるかを意識し、その時の【役割】に集中すべきだと思うのです。


1.私は私に雇われている。使用人としての私の失敗は、私の力量を見誤った雇い主のミスであり、使用人の私は悪くない

2.私は私の雇用主である。使用人たる私の失敗は、雇い主の指示や計画が不備が原因。使用人の教育と今後の計画を練るのは雇い主の仕事だ
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失敗した時は、仕事に失敗した使用人として泣き悲しむのではなく、仕事の配分や計画を間違えた雇用主・責任者として、次に失敗しないようにするにはどうすればいいかを、順序立てて考える。必要なら、使用人の私の教育訓練の計画も立てる。もしそこでつまづくなら方法を変える。これは具体的に細かく決めなければ、「使用人である私」は迷路に入り絶望する。

何の事はない。常識的な「Plan, Do, See」なのだ。実行する(DO)の段階では、自分は命令に従う使用人だとみなし、うまく行ったとか行かなかったとか、嘆いたり反省したり対策したりするのは、雇い主であるSeeとPlanの時だけに分離すること。

実行と悩みを同時にやったら、うまくいくはずのことだって、失敗する。実行中はひたすら実行。後悔は、文字通り、後で悔やめばいい。反省も再計画の立て直しもそこでやる。作業中に泣かなくていい。

2015.08.11

心の値段

もし今、どこかの貧乏な自治体が、地元や近隣の医師や弁護士などに呼びかけて「今度の日曜日に住民向けの無料相談会を開こうと計画中です。財政が厳しいため交通費とお弁当代ぐらいしか出せませんが、協力していただけないでしょうか?」と、言ったと仮定する。休日に事実上の無料奉仕を求めているわけだが、呼びかけに応じてくれる先生はゼロではなく、何人かが、善意とプロとしての社会的義務感からこの企画を手助けしたとしても不思議はない。
一方、もしこれに追加の報酬として「時給は1000円です」と付け加えたら、手伝ってくれる人は増えるだろうか、減るだろうか。経済合理性という点から言えば、ゼロ円よりは1000円のほうがマシである。だが、そもそも割にあわない奉仕活動に参加するという決めている時点で、その人は経済的見返りなんて求めていない。その善意に対して、「あなたの時給は1000円です」と値付けしてしまったとき、それを喜ぶ人がいるか/手伝っている人が増えるか、と問われれば、「それは逆効果のおそれもある」と皆んな思うのではないだろうか。
別に無償だから偉いとか偉くないという話ではなく、自分のプロとしてのプライドを、そんな金額に換算されてしまってはたまらないと抵抗を感じるのは、仕事に誇りを持っている人ならどんな分野であっても同様だと思う。
こんな単純な例であっても、経済合理性というものが人間の行動に対して与える力には限界があり、「利潤動機」のたぐいも実際よりも経済学では過大評価させているような気がする。もちろん、その点を重視した行動経済学という分野も発展中だが、それと、既存の経済学との整合性はまだ十分にとれていない。また、経済的に不合理な行動をする人間がいるということを、経済的合理主義で行動する人間が知った場合、その不合理さを承知の上でそれに追従するほうが合理的であると判断する場合もありえるので、合理主義は不合理を打ち消すどころか、かえって拡大することもありえる。
実を言えば、そもそも「利潤動機」とか「利潤の最大化」といったことそれ自体が、不合理を内包している幻だと、私は思っている。国内外の社会問題の多くは、この幻想に(おそらくは嘘であることを承知で)しがみついている人がいるせいで、解決困難になっている。お金で人の心は買えない(売ることもできない)。多少の買収はできても、それはある日突然ひっくり返るあやふやな取引だ。
今日の原発再稼働のニュースを見ていて思うのは、補償金を受け取って原発再稼働に賛成している人も、事故なんて発生するはずがないという前提で賛成しているということ。要は掛け率のよい博打に過ぎない。博打に負けた時に、それを当然のこととして受け止めたりはできない。なぜこうなった、こんなはずではなかったのにと後悔し、怒り、嘆くのは人間として当たり前のことだ。あらかじめ心を買収しておくことは絶対できない。買収しようとしている側も、本当は事前買収は不可能だ、事後保証はどうなるか見当もつかないと知っていながら、目先の締め切りを守るために書類をでっち上げているだけである。

あとは祈るだけ。技術系出身役員が多い九州電力なら、法学部出の役員ばかりだった東京電力よりは原発をマシに管理できるだろう、なんとか廃炉までの数十年間つつがなく過ごせるだろうと、祈るだけである。

心は、売りたいと思っても売れないし、買いたいと思っても買えない。魂を買い取ってくれる悪魔なんて都合のいいものは、どこにもいない。「今のところ、売れたと思っている」「今のところ、買えたと思っている」だけで、実際に所有者は移転してない。する方法もない。少なくとも今の科学技術の範囲では無理。

2015.08.07

死ぬかと思った!

うつ病が悪化して「死にたい」と思うことはときどきあっても、まさか「何をやっても全部無駄だったのだから、もう死ね!」という気持ちになったのは、これが初めてだと思う。きっかけはエアコン無しの我が家で、すっかり暑気あたりなってしまったからだが、他にもいくつかの精神的、環境的条件が重なり、体と心の両方がきつい状態になった。

「いまは、精神的苦痛が中心だが、そもそものきっかけは熱のせいだし、涼しいところにとにかく逃げてから考えよう」と、いうことで、予約なしで料金の高くなることは承知で、出張や旅行にいつも使っているビジネスホテルのチェーンの地元点に電話したのが、朝の8時半。「いますぐ来ても、客室の清掃があるのでかなり長いことロビーで待つことになる」といわれたが、ロビーだって空調は効いている。とにかく、すぐにタクシー会社に迎車の依頼をし、下着とノートパソコンと数冊の本だけを持って、ホテルまで行った。ロビーのソファーに座って、正午までうとうと。それから部屋の鍵をもらい荷物を起き、1階のレストランで数日ぶりにまともな食事をし、先ほど部屋に戻ってきたところ。

今回身に付けているもの、持ちだしたものは、「かりに大災害がきて、家財道具のほとんど全部を捨てて逃げるとして、最低限何を持っていくか」の限界に近い。今日、家においてきたものは、必要なら買いなおせる。

パソコンも買い直せる物だが、今、さまざまな情報を保存してあるこれがなくなると、さすがに再出発までに大変なので、パソコンは持っていく。数日分の、下着、運転免許証とクレジットカード、銀行カードの入ったサイフ、これだけでいい。

部屋にも無事入れてもらえたし、とりあえず今日は、もうなにもしないつもりだ。

2014.11.25

専門家は、意外なところに敏感に反応する

これは、先日書いた、『専門家は、専門用語に敏感に反応する』の続きの話。
あれから4週間たって、先週の土曜日にまたメンタルクリニックに行き、前回の血液検査の結果を教えてもらった。なんら問題なし。ただ、わずかにコレステロール値が基準範囲よりも上で、主治医は「少しだけ越えているという程度なので気にしなくてもいいでしょう」と言った。そこで、実は今年の春の健康診断の結果では明らかに許容範囲外だったこと、そのため内科に通いつつ食事を減らし体重も10キログラムくらい落としました。それで、ここまで改善したのでしょうねと言ったら・・・

おや? これはまた、面白い。普段なら私が何を言っても、医師として一歩引いた立場からやや冷たい感じで私と会話している先生が、何やら急に興味を持って「どうやって体重を落としましたか?」と聞いてくる。あれ、この先生が感情をあらわにすることもあるんだ、と思いつつ、「私の場合、太り過ぎの最大の理由は、やることがないときに空腹でもないのに余計なものを暇つぶしに食べるというだったので、それをなるべく控えるようにして、何かを口に入れたいときはお湯で溶かして作るインスタントのコーンポタージュなど、温かい液体を口にすることにしました。濃厚なスープであっても、容量に対するカロリーは普通の固形物の食品よりもずっと低いので、それで気が紛れればいいかなと。今は、粉末スープのたぐいを何種類か台所にストックしていて、時々飲むようにしています」と説明する。

見れば、先生、何やら熱心にカルテにメモをとっている。ええと、これ、何か重大なことなんですか? 確かに自己管理できるようになったという意味では大きな進歩かもしれないけれど、ときどきやってくる抑うつ感は今までと大差ないし、冬になったせいか最近は夜の寝付きもあまりよくない。と、こちらが困っていることを話した時には、「布団に入って寝付くまでに1時間かかるという程度なら、まあ心配ないでしょう」とあっさり返されてしまったのに、何が先生の興味を引いたのやら。説明してもらおうかとも思ったけれど、どうせ説明を聞いて知識を増やしても、うつ状態が改善するわけでもないとわかっているので、報告するだけして診察室を出る。あとはさっさと薬局に行き、いつもの抗うつ剤と睡眠導入剤を買って帰宅するだけ。そのあとの午後は、特になにもせずネットのアニメ系掲示板を見たりマンガを読んだりするだけの週末だった。
いったい何が、先生の興味を引いたのだろうか。はて?

2014.10.28

専門家は、専門用語に敏感に反応する

軽度ながらもうつ病を再発して、6月から通院中である。抗うつ剤を何ヶ月かは服用し続けることになるので、副作用による悪影響が生じていないかを確かめるための血液検査を、先日受けた。
私はこの病院では始めて受ける血液検査だったので、看護師は、血液検査をする理由などを丁寧に説明してくれた。そして、その中で、「まれにですが副作用でコレステロール値が変わったりすることがありますが、現在、それに関連するような治療を受けていますか?」と、聞かれたので、春に受けた定期健康診断でコレステロール値が高かったから、近所の内科でコレステロール合成阻害剤をしばらく処方してもらいつつ、体重を少し減らし、途中の検査でコレステロール値が下がって以降は通院をやめてしまったので、もしかしたら、下がってくれていた数値は逆戻りしているかも知れない。と、伝えた。
すると・・・ おや?

それまで、職業的に、「何もわからない患者に、やや作り笑顔を浮かべつつ優しく声をかけていた看護師」が、なぜか急に少し緊張した面持ちで姿勢を正して、「医療関係の業界の方ですか?」と、聞いてきた。こちらはわけがわからないまま、「いえ、ただの患者です」と答えるだけだ。どうも、普通の人なら「コレステロール値を下げる薬」とか「コレテロールに効く薬」というべき場面で、私が「コレステロール合成阻害剤」を言ったので、私のことを医療関係者か何かではないのとか敏感に反応したしたようだった。いや、でも、珍しい分野の医薬品ならともかくなぜに広く一般的に使われている薬についてのこの一言に過敏に反応したのやら、ちょっと不思議な感じがした。そもそもコレステロールは人間が生きていくうえで必要不可欠な化学物質で、あまりに必要性が高いので食べ物からの摂取ではなく、ヒトの肝臓は毎晩せっせとコレステロールを合成している。血中コレステロール値の半分は自家製なのだ。コレステロール値を下げる必要があるなら、肝臓でのコレステロールの合成にブレーキをかけるのがもっとも効果的であり、、コレステロール値が高いときに内科で処方されるもっとも一般的な薬がコレステロール合成阻害剤だというのは、いまどき当たり前のこと・・・ くらいは、中年以降、健康診断でコレステロール値が高いときに医師が丁寧に説明してくる。それに続けて、「薬で下げても、生活習慣を変えない限り服用をやめたら逆戻りですよ」と念を押される。誰でも知っていることのはず・・・ ではないの?

もしかしたら、彼女は精神科の看護師として、他の病気の患者に話しかけるときよりも特に意識して優しい態度を作っていたかもしれない。精神科に来る患者は精神的ストレスを受けていているのだから、そういう配慮は自然だしありがたいことだ。私は決して軽く見られたとは思わない。最初に書いたように「ただの患者」ですから。でも、この看護師は。目の前の相手が医療関係者だったら、優しすぎるのはかえって失礼なことになりうると、あわてたのかも知れない。

とくに、何か悪いことがあったわけでも、誰も怒ったり困ったりしたわけでもない、日常での些細な出来事であったが、「業界関係の方ですか?」という問いに対する、「ただの患者です」という返事、今になって思い出してみると、どこか少しこっけいな寸劇のような感じがしないでもない。でも、それ以外になんと答える?

2014.10.24

失敗が怖くて、身動きがとれなくなる。困るなぁ

私は、極度の怖がりなので仕事であれ趣味であれ、頭のなかで考えている間はいいのだが、いざ実行するという段階になったとき「失敗するくらいなら、はじめから手を出さないうほうが良い」と、考えて逃げてしまう。この傾向がいつ頃から始まったのかは覚えていないが、おそらく小学生の時からそうだったと思う。
しかし、6月にカウンセリングを受けた時に自分でも言ったのだが、私の場合、「今まで予想し続けていた起こりうる怖いことが実際に怒ったことは、99%ない。一方、怖くて手が動かないせいで、仕事が遅れたり失敗したりしたことなら、なんどもある」のだ。
先日心療内科で受けた性格検査と知能検査では、得意と不得意の領域の差が非常に大きく、不得意な分野でも人並みよりわずかに上という程度のレベルにあるが、得意分野は1000人にひとりくらいの高いレベルだという。どうやら、そのせいで、何かをやるときに、うまくいくか行かないかがわからないと、ものすごく不安になるのだろう。うまく出来るときには、非常に高い成果を出せるので、周りから期待される。しかし、うまくできない時は、人並みではあるものの期待からはほど遠いことしかできない。
心理療法士からは、「得意な分野と不得意な分野を自覚して、不得意な分野は他人に任せるようにしたほうがいいです。不得意な分野を克服して得意分野と同じレベルに持っていくのは、まず無理だし、それをしようとして今まで挫折してきたから、仕事が怖くて手が出せなくなるではありませんか?」と、いうアドバイスを受けた。
アドバイスを受けたその時は、肩の荷がおりた感じで気分が良くなったのだが・・・ いま、仕事で納期直前を迎えていて、例によって、「苦手な作業を怖がって、手が動かない」状態だ。困ったな、どうしたものだろうか。「できることをできる限りやるだけでしょ。後悔は納期の後でやってください。今の時点で後悔して仕事が止まっているというのは、誰も得ません。」そう、自分に言い聞かせてみる。理屈ではわかっているのだが、かなり難しいね。

2014.10.14

予想外のことで高評価されてしまうと、ものすごく不安になる

私の部屋の散らかり具合を見たことのある人なら、私にとって物を片付けることが大の苦手であることは、即座にわかるはずだ。小学生の頃にはかなりきちんとしていたのだが、ある時期(たしか小学4年くらいのころ)に諦めてしまって以後、何十年もずっと情けない状況である。いまさらながら、何とか心理療法的に改善できないかと「ホールディングス」に関する認知行動療法の本を買って来たところだが、その本が今、この部屋のどこにあるかよく分からない・・・ ありがちなオチだね。
それはともかく、片付けることが苦手な私は、勤務先の机も散らかっているし、もっと悪いことに仕事のために大量に集めた技術資料を収めた本棚も、ただ紙の束をつっこんでいるだけという状況であることが多い。さすがに、上司や同僚の目もあるし、何より、資料探しの時間のほうが正味の仕事の作業時間よりも長くなってしまうので、自宅ほど酷くはないけれど。

さて、今から20年近く前のこと、私は当時の勤務先で、かなり難易度の高い研究開発の仕事をあてがわれ、非常にたくさんの資料を集めていた。職場の壁に作り付けれた広い広い資料棚が満杯になる。たいていは、最近使ったものが一番前に置かれるので、あまり使わないものは自然に奥の方に追いやられることになり、結果的に、資料探しに時間はさほどかからなかったので、2,3年間、そんな状態で何とかなっていた。しかし、技術資料は時間とともに陳腐化するので、古いものは捨てなければならない。持っておいても害はないけれど、うっかり古い資料を新しいものと取り違えて設計に使ったりすると困る。
そういうわけで、あるとき、3日ほど仕事を止めて本気で頑張って資料整理をした。技術分野と主要メーカーの組み合わせで棚をわけ、かなりうまく整理した(それが、私がまともに資料整理をした最後の経験である)。
すると、全くの偶然だが、その翌日に他部署の同僚が、「これこれに関する情報を探しているんだけど、何か参考になるものはないかな?」と、聞きに来た。
正直、ちらりと見るのさえ嫌になるくらい資料の山と取っ組み合いをしたあとだったので、私は机から顔もろくに挙げずに、「ああ、それなら、あの壁にある4つの書類だなの一番左、上から三段目、左から50センチくらいのところに、○○社の去年のカタログがあるよ。あと、こっちの棚のあそこには・・・」と、昨日までやってきた整理結果を伝えた。

えらいことになりましたよ。
同僚は驚嘆して、「あの資料の山の中身を、全部把握しているんだ!?」
その時以来、私は「自社どころか他社製品についてまでも精通している、職場の生き字引」扱いである。めんどくさいことおびただしいが、期待してくれるからにはそれに応えないわけにもいかない。「オレは、自動要約機能付きの検索エンジンじゃないぞ」と何度ぼやいたことか。今にして思えば、「わかりません、知りません」と言えばよかったのに、いちいち調査して報告し、しかも調査の脇道にそれて見つけてしまった聞かれてもいない関連情報までオマケにつけていたので、もう評価はくつがえりようがない。この不当な高評価は、他部署に転勤になったあとでもついてまわった。いや、私自身が重荷に思っているだけで、評価そのものは正当だったのかもしれないが。
いずれにせよ、自分が得意としていないこと、それどころかむしろ苦手なことについて、他人から予想外に高く評価されてしまうというのは大変に不安なものだ。しかも、最初に書いたように私は資料整理が下手なので、結局、入手した資料の概略を暗記してしている。私にとっては、きちんと整理整頓して、あるべきものを在るべき場所にいつも保管するという状態を維持することの絶望的な困難さに比べれば、入手した資料にいったん目を通して概要を覚えてしまうほうがまだマシである。書類は知らないうちにどこか知らないところに行ってしまうが、頭のなかに入っているものについては、忘れることはあっても、「読んだ覚えはあるけど、どの会社のどの製品のことか忘れた」という程度の記憶なら残る。資料に目を通した覚えがあるという確信はあるので、「たぶんあのへんにあるよ。社名は忘れたけどたぶんA社かB社の○○系の製品だった」と雑な返事をすると、それだけでも感心された。役立たずと呼ばれるよりは、役に立つとほめられるほうがいいとはいうものの、いつでも回答できるというわけでもなく、答えられない時の居心地の悪さと言ったら・・・ 一番衝撃的だったのは、「○さんでも分からない話なら、この件は調査しても無駄ですね」と言われたときだ。一般的には、ほめ言葉と受け止めていいのかもしれないが、当時の私は「オマエが知らないから、この仕事を棚上げにするよ」と言われたような気がして、非常につらかった。
以後20年、情報や資料の整理は、今でも一番苦手な仕事だ。整理するのが極端に下手くそだから、しかたなく暗記しているだけなので、なるべく黙っていようとしているのだが、たまにバレる。

2014.10.05

副作用も効能になる

今年の4月頃、うつが再発し6月下旬あたりが一番つらかったがメンタルクリニックで適切な治療と指導を受けていること、そして何よりも、今の職場での温かい配慮のおかげで、何とか良い方向に向かっている。

前回発症した時にはまだ国内で承認されていなかったレクサプロが、私の場合にはよく効いている。ただ副作用として昼間でも猛烈に眠いことがある。飲みはじめの時は、朝の通勤途上に居眠り運転をしそうになって「これは何とかしないと、絶対に大事故を起こす」と思い、服用するのは寝る前ではなく、夕方仕事が終わって帰宅した直後にし、睡眠時間も以前より1時間以上長めにとっている。その副産物として、朝、起きる時刻も早くなった。就寝時間が2時間早くなり起床時間が1時間早くなったというところだ。
おかげで、長年のサラリーマン生活でどうにも克服できていなかった遅刻癖が、解消してくれた。もしかしたら、この抗鬱剤服用の最大の効能かもしれない。
つまり、「遅刻に効くクスリは、目を覚ます薬ではなく、早く就寝しないと大事故にあう、もう夜更かしは不可能だと思い切るくらい眠気の強いクスリであった・・・」と、いうこと。なんとなく面白いね。
眠気を報告した時、主治医は、レクサプロでそんなに眠気があるとは思えないけれど半分に減らそうか、と言ってくれたが、すでに今の処方を前提にした生活パターンができていて、その中で遅刻癖が克服できたというメリットもあるので、そのままでお願いしている。

2014.06.01

昨日までは嫌いだと思っていたサービスが、今日からはお気に入りになる不思議

私にとってはEvernoteがそれ。最初、「世間で噂になっているから」という理由で
同社のサイトにアクセスしてみる。
1.まずサイトに説明のページを見つけられなかったことに嫌悪感を感じる
2.しかたなく、「習うより慣れろということか」と、Windows用のアプリをダウンロードして
インストールする
3.起動したが、使い方がよくわからない。これは使いものにならないと思ってアンインストール
4.数ヶ月経過
5.ふと、「高度な使い方なんて期待せず、パソコンに向かっている時にふと思いついたことを
 書き付けておくメモ帳として、使えないか。そういうサービスのはずだ」と思い立つ
6.今回もアプリは、いまいちわからない。ユーザーインタフェースになじめなかった
7.でも、今回は、マシなきっかけがあった。数日前にEvernoteからの自動送信メールが
来ていて、メールを転送するとエバーノートに保存されると知った。届いていたメールは、
私のエバーノートに転送するときの受信用アドレスだった。試しに転送してみて、6の操作で
転送したメールが確かに保管されていることを確認できた
8.そういうわけで、何か使えそうだと思い、windowsのアプリはともかく、ブラウザ画面で
使えないかと思って、そちらを試した
9.ブラウザ画面のユーザーインタフェースのほうが、わかりやすい。実際にはブラウザも
デスクトップアプリもほとんど同じ見た目のはずなのに、なぜか後者は「なんだかわからない」
という気分になったのに対し、ブラウザの方は、「これなら自分でも使えそう」だと直感した。
10.そういう経緯で、今は日々の思いつきをブラウザ経由でEvernoteに書き込んでいる。
11.今ではお気に入りのサービス
Evernoteは何も変わっていない。変わったのは、私の受け止め方だけ。
そもそも、最初に感じた、「直感的な嫌悪感」は何だったのだろうか? そこには、単なる
「これはよく分からないな」というような、疑問やとまどいの感情ではなくて、
「これは不良品だ、欠陥だ」という感じの不愉快とか怒りに近いものがあった。
ところで、今このメモを書いていて気がついたが、ブラウザのプログラムも、なにやら
欠陥があるね。自動保存の振る舞いがおかしくて、たまに保存も編集もできなくなることが
ある。いったんログアウトしてログインしなおせば解決するが。

それはともかく、元の話に戻る。Evernoteの提供している機能は一切変わっていないのに、
私の受け止め方は大きく変わった。嫌悪感のものにあったのは、うつ病の認知療法などでも
よく言われる「こうでなければダメである、そうでないものは悪いものだ」という思い込みだ。
一般に人間は、初めての道具をマニュアル無しで使う必要がある時には、
「こういう操作をすると、こういうふうに動くだろう」という仮説を立てながら、試行錯誤をする。
使い方がわからなくて怒るのではなく、自分の考えた仮説とは異なる結果が出た時に、
「こういう結果や反応になるのが正しいはずなのに、この道具は間違った結果を出した。
これは粗悪品だ!」と、怒るのだ。この思い込みには、もうひとつ重大な思い込みが隠れて
いる。それは、「粗悪品を作るのは、罪悪だ!」という道徳的な思い込みである。このふたつが
重なると、悪徳商法に騙されたかのような怒りが、ほぼ自動的に湧いてくる。
ソフト会社のユーザーサポートにかかってくる電話や送られてくるメールが、しばしば質問ではなく
非難や憎悪であるのはこのためだ。(本当に欠陥の場合もあるが)

私は、今、Evernoteを最も初歩的な使い方でしか使っていない。その範囲であれば、
ブラウザ上で起こる一時的なフリーズなども含め、意図しない挙動にあったときにどう対処すれば
いいか一応わかったので、「やれやれ、またか」と思いつつも、もう「欠陥品だ、罪悪だ」とは
思わない。

欠点を「そういうものさ」と飲み込んでしまえれば、あとには利点を活用する喜びだけが残る。

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