2016.09.24

ただの生存報告です。

秋になったので、ブログの背景デザインを紅葉に変えてみました。真っ赤だから血の色だとか、そんなふかよみはしないでください。単純に秋の風景を選んだだけ。本当はススキの野原などのほうがいいんですが、みつかりませんでした。ここ最近は、思いついた言葉を即座に投稿できる、ツイッターに投稿することのほうが多いですね。URLは、こちら https://twitter.com/Hideyuki_TSUJI/

2016.04.03

うつ病の自分に向けた呪文を考えてみた

【要点】 もちろん二枚舌は人としてダメである。しかし、状況に応じて、自分を雇い主と使用人の立場に置くという二重人格の使い分けは重要な事に違いない。とくに、いつも迷ってばかりいる私のようなタイプは、強者の「具体的な計画のはっきりした」命令でノルマを課せられた時には。悩まず真面目に仕事を完遂できることがおおい。 逆に仕事中に悩み始めると、私の場合は全作業が何ヶ月もストップする。だから、今の自分は、雇い主なのか使用人であるかを意識し、その時の【役割】に集中すべきだと思うのです。


1.私は私に雇われている。使用人としての私の失敗は、私の力量を見誤った雇い主のミスであり、使用人の私は悪くない

2.私は私の雇用主である。使用人たる私の失敗は、雇い主の指示や計画が不備が原因。使用人の教育と今後の計画を練るのは雇い主の仕事だ
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失敗した時は、仕事に失敗した使用人として泣き悲しむのではなく、仕事の配分や計画を間違えた雇用主・責任者として、次に失敗しないようにするにはどうすればいいかを、順序立てて考える。必要なら、使用人の私の教育訓練の計画も立てる。もしそこでつまづくなら方法を変える。これは具体的に細かく決めなければ、「使用人である私」は迷路に入り絶望する。

何の事はない。常識的な「Plan, Do, See」なのだ。実行する(DO)の段階では、自分は命令に従う使用人だとみなし、うまく行ったとか行かなかったとか、嘆いたり反省したり対策したりするのは、雇い主であるSeeとPlanの時だけに分離すること。

実行と悩みを同時にやったら、うまくいくはずのことだって、失敗する。実行中はひたすら実行。後悔は、文字通り、後で悔やめばいい。反省も再計画の立て直しもそこでやる。作業中に泣かなくていい。

2015.10.21

「聞く耳をもっていないのに、質問攻め」は勘弁してください

1.映画のストーリーや配役などで、何かと「なんたら差別だ」という声が沸き起こる。まあ、そういう見方もあるよね~ くらいに思うこともあるけれど、以前、日本の少女マンガアニメ『オオカミ少女と黒王子』が、日本の放送とほぼ同時に英語字幕付きでアメリカで公式配信されたときにも… 

2.作品を知っている人なら容易に予想できるように、「なんて酷い性差別アニメだ!」と激怒する人がチラホラ出てきた。これは無理も無い。主人公は、見栄っ張りのせいで嘘をついてしまった女の子。そして、嘘を隠し通すため、知り合いでもなんでない男子に頼ったら…

3.彼は外面は美形で性格もいい好男子だけど、ごく少数の「こころを許した相手にだけ」は、とっても自分勝手で偉そうに振る舞う甘えん坊。というありがちネタ。彼女に対する態度がかなり悪いので、海外のアニメ感想掲示板がちょっとした騒ぎになったと。

4.普通は、作品が気に食わなければ、さっさと見るのをやめるものだし、実際、初期段階で怒った人は見るのをやめ掲示板にも来なくなった。それでいいのです。見たくないものを無理に見る必要なんてない。おもしろいと思う人だけが見ればいい。ところが…

5.なぜか、毎回強烈な文句を言いながら見ている女性がいて、しかも、この人、「こんなアニメを喜んで見る女子も頭がおかしい」と、作品だけでなく視聴者まで攻撃するから、えらいこっちゃ~ ご本人の友人知人にも、作品のファンがいるらしく、その点に関しても非常にご立腹のようす。

6.彼女いわく、「普段DVやストーキングで苦しんでいる私の友人の中にさえ、なぜか、このアニメに登場する『黒王子』のファンがいて「あんな恋をしてみたい」とか言う。全くわけがわからない。誰か説明してよ」っと。でもねぇ~

7.いくらなんでも、「会ったこともないアナタの、会ったこともないお友達」の気持ちの解説を、どこの誰ができるというの? 放っておけば良かったけど、少しなだめようとしたら、エライ目に遭いました。「説明しろ、説明しろ、説明しろ」の連発。しかしながら、

8.いくら説明しても、元々聞く耳を持ってなかったんですよ、彼女は。最初から「このアニメも、このアニメを好んでいる視聴者もケシカラン」という結論があって、『説明しろ』の連呼は、「こういう点が好まれているんですよ」という説明を封殺する手段。参りました~

9.さて、私にとって最も不思議だったのは、「彼女は最終話まで全部見た。」と、いうこと。彼女が何を考えて最後まで視聴したのか、知りたいような、知らないほうが身のためのような・・・ あはは。(以上で、本件は終わり)

2015.08.11

心の値段

もし今、どこかの貧乏な自治体が、地元や近隣の医師や弁護士などに呼びかけて「今度の日曜日に住民向けの無料相談会を開こうと計画中です。財政が厳しいため交通費とお弁当代ぐらいしか出せませんが、協力していただけないでしょうか?」と、言ったと仮定する。休日に事実上の無料奉仕を求めているわけだが、呼びかけに応じてくれる先生はゼロではなく、何人かが、善意とプロとしての社会的義務感からこの企画を手助けしたとしても不思議はない。
一方、もしこれに追加の報酬として「時給は1000円です」と付け加えたら、手伝ってくれる人は増えるだろうか、減るだろうか。経済合理性という点から言えば、ゼロ円よりは1000円のほうがマシである。だが、そもそも割にあわない奉仕活動に参加するという決めている時点で、その人は経済的見返りなんて求めていない。その善意に対して、「あなたの時給は1000円です」と値付けしてしまったとき、それを喜ぶ人がいるか/手伝っている人が増えるか、と問われれば、「それは逆効果のおそれもある」と皆んな思うのではないだろうか。
別に無償だから偉いとか偉くないという話ではなく、自分のプロとしてのプライドを、そんな金額に換算されてしまってはたまらないと抵抗を感じるのは、仕事に誇りを持っている人ならどんな分野であっても同様だと思う。
こんな単純な例であっても、経済合理性というものが人間の行動に対して与える力には限界があり、「利潤動機」のたぐいも実際よりも経済学では過大評価させているような気がする。もちろん、その点を重視した行動経済学という分野も発展中だが、それと、既存の経済学との整合性はまだ十分にとれていない。また、経済的に不合理な行動をする人間がいるということを、経済的合理主義で行動する人間が知った場合、その不合理さを承知の上でそれに追従するほうが合理的であると判断する場合もありえるので、合理主義は不合理を打ち消すどころか、かえって拡大することもありえる。
実を言えば、そもそも「利潤動機」とか「利潤の最大化」といったことそれ自体が、不合理を内包している幻だと、私は思っている。国内外の社会問題の多くは、この幻想に(おそらくは嘘であることを承知で)しがみついている人がいるせいで、解決困難になっている。お金で人の心は買えない(売ることもできない)。多少の買収はできても、それはある日突然ひっくり返るあやふやな取引だ。
今日の原発再稼働のニュースを見ていて思うのは、補償金を受け取って原発再稼働に賛成している人も、事故なんて発生するはずがないという前提で賛成しているということ。要は掛け率のよい博打に過ぎない。博打に負けた時に、それを当然のこととして受け止めたりはできない。なぜこうなった、こんなはずではなかったのにと後悔し、怒り、嘆くのは人間として当たり前のことだ。あらかじめ心を買収しておくことは絶対できない。買収しようとしている側も、本当は事前買収は不可能だ、事後保証はどうなるか見当もつかないと知っていながら、目先の締め切りを守るために書類をでっち上げているだけである。

あとは祈るだけ。技術系出身役員が多い九州電力なら、法学部出の役員ばかりだった東京電力よりは原発をマシに管理できるだろう、なんとか廃炉までの数十年間つつがなく過ごせるだろうと、祈るだけである。

心は、売りたいと思っても売れないし、買いたいと思っても買えない。魂を買い取ってくれる悪魔なんて都合のいいものは、どこにもいない。「今のところ、売れたと思っている」「今のところ、買えたと思っている」だけで、実際に所有者は移転してない。する方法もない。少なくとも今の科学技術の範囲では無理。

無理心中用の核爆発設備とか

もう冷戦は過去の話。今でも、「第3次世界大戦で核ミサイルが飛び交って億の桁の人が死んでしまう」というような心配をしている人は、おそらく少数派だろう。1980年代くらいまでは、まだわりと本気でかなりの人が心配していたが、私自身も含め、大抵の人は過去の話だと思っているはず。
そして、過去の話であるがゆえに、日本の核武装の可能性に対する関心も低い。でも70年前のアメリカに作れたものが、今の日本で作れないわけはないし、材料はいくらでもある。不純物の多い発電用の核燃料でも、核爆弾を作れないというわけではない。作りにくいというだけ。
といっても、日本製核弾頭が自衛隊の飛行機に配備されるとか、どこかに大陸間弾道弾の基地ができるという可能性は、たぶんない。準備するにはかなりの時間がかかるし、日本国がそんな動きを見せれば、米中ロシアの3大国がまとまってでも、阻止に動くと思う。ありとあらゆるものを貿易に依存している日本は、基本的に戦争の準備をすることはできない。
ただ、ひょっとして、攻撃用ではなく自殺用の核爆発施設なら、ありうるかもしれないという気が漠然としている。地球上のどこで爆発しても皆殺しになってしまうから、もはや運搬の必要がない、全てを道連れにした無理心中用の核爆弾というのは、1960年代くらいのSFにあったような気がする。輸送することを考えず、建築物としてつくるのであれば、爆発力に上限はほとんどない。「アイツを殺してオレも死ぬ」というのは、個人のレベルであれば珍しくない発想だ。他国との戦争用ではなく自殺用だから憲法第9条には、少なくとも形式上は抵触しない。
実を言えば、自動化されている今のアメリカとロシアの核ミサイルだって、結構それに近いものがあるのではないかな。一度スタートしたら、止める暇もなく全滅まで突っ走ると。
結局、核兵器は「使われるはずはない」という前提で配備されている飾り物だ。単なるこけおどし。
でも、誤動作はありうるし、いい加減、火薬庫で火遊びするようなまねは卒業したほうがいいと思うのだが、反知性主義が根強い大国では、核兵器は神が我々に与えた特別な力だから、自分たちに被害が出るはずはないと本気で信じている人がうじゃうじゃいる。まあ、知ってしまったら、ノイローゼになって夜も眠れない状態になるから、知らないままでいるほうが心の平和を保てるというのは、確かだ。ヒトが当座を生き延びるにあたって必須の姿勢なのだと言ってもいい。でも、いつまで、こんなことを続けるのかな。
毒ガスが国際条約で禁止されているのに核兵器がそうでないのは、戦勝国は、毒ガス攻撃を受けたことはあるが核攻撃は受けたことがないから。だとすると、実際に核兵器の凄惨さを体験しない限り廃絶は無理かも知れない。もうしそうだとしたら、彼らに一度、可能な限り小さな被害で大やけどを経験してもらうという矛盾した期待を持つしかないのだけれど、どこの国の人であれ、無関係な一般人が死ぬのは悲しいと思う。
核爆発を起こさずとも、核兵器の熱線を直射で受けた時の悲惨さを実験室のなかで再現することは別の技術手段で可能だ。反戦は自分勝手だという滋賀県の議員さんは、試しに、人間の体がどういうふうになるかを自分の身体で人体実験してもらって、国民に示してくれないだろうか。そのうえで、戦争の勧誘をして欲しい。
嫌なニュースをたくさん聞くと、厭世的な気持ちになり、「どうにでもなれ。知ったことか」という気持ちになる。これは、たぶん自然な心因反応。思想の右左を問わず、なんであれ戦争の話をし続けることのできる人たちの鈍感さが、ある意味羨ましい。いや、単に私の能力の限界に過ぎないのだが。

2015.08.07

死ぬかと思った!

うつ病が悪化して「死にたい」と思うことはときどきあっても、まさか「何をやっても全部無駄だったのだから、もう死ね!」という気持ちになったのは、これが初めてだと思う。きっかけはエアコン無しの我が家で、すっかり暑気あたりなってしまったからだが、他にもいくつかの精神的、環境的条件が重なり、体と心の両方がきつい状態になった。

「いまは、精神的苦痛が中心だが、そもそものきっかけは熱のせいだし、涼しいところにとにかく逃げてから考えよう」と、いうことで、予約なしで料金の高くなることは承知で、出張や旅行にいつも使っているビジネスホテルのチェーンの地元点に電話したのが、朝の8時半。「いますぐ来ても、客室の清掃があるのでかなり長いことロビーで待つことになる」といわれたが、ロビーだって空調は効いている。とにかく、すぐにタクシー会社に迎車の依頼をし、下着とノートパソコンと数冊の本だけを持って、ホテルまで行った。ロビーのソファーに座って、正午までうとうと。それから部屋の鍵をもらい荷物を起き、1階のレストランで数日ぶりにまともな食事をし、先ほど部屋に戻ってきたところ。

今回身に付けているもの、持ちだしたものは、「かりに大災害がきて、家財道具のほとんど全部を捨てて逃げるとして、最低限何を持っていくか」の限界に近い。今日、家においてきたものは、必要なら買いなおせる。

パソコンも買い直せる物だが、今、さまざまな情報を保存してあるこれがなくなると、さすがに再出発までに大変なので、パソコンは持っていく。数日分の、下着、運転免許証とクレジットカード、銀行カードの入ったサイフ、これだけでいい。

部屋にも無事入れてもらえたし、とりあえず今日は、もうなにもしないつもりだ。

2014.11.25

専門家は、意外なところに敏感に反応する

これは、先日書いた、『専門家は、専門用語に敏感に反応する』の続きの話。
あれから4週間たって、先週の土曜日にまたメンタルクリニックに行き、前回の血液検査の結果を教えてもらった。なんら問題なし。ただ、わずかにコレステロール値が基準範囲よりも上で、主治医は「少しだけ越えているという程度なので気にしなくてもいいでしょう」と言った。そこで、実は今年の春の健康診断の結果では明らかに許容範囲外だったこと、そのため内科に通いつつ食事を減らし体重も10キログラムくらい落としました。それで、ここまで改善したのでしょうねと言ったら・・・

おや? これはまた、面白い。普段なら私が何を言っても、医師として一歩引いた立場からやや冷たい感じで私と会話している先生が、何やら急に興味を持って「どうやって体重を落としましたか?」と聞いてくる。あれ、この先生が感情をあらわにすることもあるんだ、と思いつつ、「私の場合、太り過ぎの最大の理由は、やることがないときに空腹でもないのに余計なものを暇つぶしに食べるというだったので、それをなるべく控えるようにして、何かを口に入れたいときはお湯で溶かして作るインスタントのコーンポタージュなど、温かい液体を口にすることにしました。濃厚なスープであっても、容量に対するカロリーは普通の固形物の食品よりもずっと低いので、それで気が紛れればいいかなと。今は、粉末スープのたぐいを何種類か台所にストックしていて、時々飲むようにしています」と説明する。

見れば、先生、何やら熱心にカルテにメモをとっている。ええと、これ、何か重大なことなんですか? 確かに自己管理できるようになったという意味では大きな進歩かもしれないけれど、ときどきやってくる抑うつ感は今までと大差ないし、冬になったせいか最近は夜の寝付きもあまりよくない。と、こちらが困っていることを話した時には、「布団に入って寝付くまでに1時間かかるという程度なら、まあ心配ないでしょう」とあっさり返されてしまったのに、何が先生の興味を引いたのやら。説明してもらおうかとも思ったけれど、どうせ説明を聞いて知識を増やしても、うつ状態が改善するわけでもないとわかっているので、報告するだけして診察室を出る。あとはさっさと薬局に行き、いつもの抗うつ剤と睡眠導入剤を買って帰宅するだけ。そのあとの午後は、特になにもせずネットのアニメ系掲示板を見たりマンガを読んだりするだけの週末だった。
いったい何が、先生の興味を引いたのだろうか。はて?

2014.11.11

『お祈りメール』で門前払いを食らったノーベル賞受賞者と、マスコミの懲りない人々

何年か前から使われ始めた言葉かは知らないが、「お祈りメール」という言葉がある。企業の人員募集に対して応募したときに届く、「貴殿のご活躍をお祈り申し上げます」という言葉で締めくくられた不採用通知のことだ。
似たような言い回しは英語にもあって、
“Allow us to keep your name and contact information in our database if an opening suitable for you becomes available in the future.” (将来あなたにふさわしいポジションが空くかもしれないので、あなたのお名前と経歴を記録に残させて下さい)
と、いうような言葉で締めくくったりする。だが、そんな社交辞令を信じるのはバカである。そもそも、「あなたの名前と経歴を記録に残す」とは、極端に悪意に解釈するなら、「もう一回応募書類を提出する必要はない。二度と応募するな」という意味合いもないではなく、俗にいうハリウッド方式で「使う気になれば、こちらから連絡する。こっちは忙しいんだから、いちいち問い合わせの電話なんかしないでくれよ」という意味もありえないではない。

さて、かつてTOEICを受験したとき、ある回のテストに出題された不採用通知メールの文面に、まさにそういうものがあった。『採用選考というのは非常に難しいことで、御返事が遅れて申し訳ございません』とクドクド謝罪する書き出しで始まり、その先頭の1行を見た瞬間に不採用通知だとわかるくらい明白な不採用通知である(採用通知なら、連絡が遅れたことを詫びるのは文末である)。当然ながら、締めくくりにある『代わりのポジションがあるかもしれない』も、馬鹿馬鹿しいくらいあからさまな社交辞令だと思った。
そして私は、その問題でひとつ誤答をした。それは、「このメールには何が書いてあるか」を、4つの選択肢から選ぶ出題だった。語学のテストとしては、選択肢として、その社交辞令の表向きの内容どおりの意味に受け取る短文を選ぶのが正解だった。なぜなら実のところ、出題の中にあった残り3つの選択肢は、その不採用通知メールには書かれていない話だったから。消去法で選ぶと、正解になりうるのは、確かに社交辞令を真に受ける選択肢しかない。とはいうものの、社交辞令をそのまま額面通りに受け取るような脳天気な選択肢を、私はどうしても選べなかった。たまたま私は当時失業中だったので、あの試験問題の文面は読んでいて辛かったなと今でも思う。
日本企業のお祈りメールの文章が日本語の試験に出たとして、「この会社は応募者の成功を祈っている・・・ イエスかノーか?」と出題されたときにイエスと答える人は、初級の日本語学習者であっても、たぶんいないと思うよ。社交辞令は世界中にある。

この種の『お祈り申し上げます』の話題で、少し前にニュースで報じされネットでもちょっとした騒ぎになったものとしては、かつての勤務先にたいして和解と共同研究をマスコミの記者会見で申し出た今年のノーベル物理学賞受賞者、中村さんに対する日亜化学の礼儀正しい返答がある。

「中村教授が、貴重な時間を弊社への挨拶などに費やすことなく、今回の賞に恥じないよう専心、研究に打ち込まれ、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるようお祈りしております」

正直な話、大変申し訳無いとは思うが、あの「お祈りメール」を見てニヤリと笑わなかった学者、技術者はいないと思う。なぜなら地道に先行研究をしてきた赤崎先生ならまだしも、中村さんが受賞したのは、いわば「ノーベル商品賞」であって物理学としての価値などないから。もちろん、世の中の役に立つ商品を安く大量に生産する方法を見つけ出すことは、研究室の中で100個試作してひとつできるかどうかというような「売り物として話ならない珍奇なもの」を作ることよりも、社会的には意味があるだろう。でも、世界で最初に発光ダイオードというものそれ自体(色は赤だった)を発明したアメリカ人には、ノーベル賞は贈られていない。科学的な価値という意味では、後者のほうが100万倍貴重だと私は思う。が、赤色発光ダイオードが発明された時代には、もっと基礎科学的な研究分野にノーベル賞が贈られていたので、商業的に素晴らしいという研究は、最初から評価の候補や対象にはならなかった。ところが近年になって、ノーベル賞選考委員たちは、世間に受けるネタを選ぶようになってきた。難しすぎて一般人に理解できない賞だと、世間におけるノーベル賞の価値が下がるからかもしれない。わからないこともない方針転換だけど、それならいっそ、iPod を発売したアップルのジョブズやWindowsのビル・ゲイツにノーベル商品賞を贈ればよい。

ところで、この日亜化学のコメントを見て、私が即座に思い出したのはイギリスのバーナード・ショーとチャーチルの間でなされたという手紙のこと。バーナード・ショーが、
“I would be honored if you would come up with your friends, if any.”(私の作品の舞台を見に来ませんか、お友だちも誘ってきてください。もしいるなら)
と、書き、チャーチルが
“I'm sorry I have another plan on the opening day. I would be glad to come on the next, if still run.” (あいにく初演の日は都合がわるいのでお伺いできません。翌日に参ります。もし、まだ上演されているなら)
と、切り返すという話だ。

できすぎているので実話ではないかもしれないが、それはともかく、日亜化学のコメントの最後にある「ノーベル賞に恥じない、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるようお祈りしております」を見て、私はその後に続く「もしできるならね」という嘲りが隠れていると、読み取ってしまった。そう、あのお祈りメールは「ノーベル賞に値する仕事なんかやったことのないお前さんが、いったい何をぬけぬけといっているの。少しは恥を知りなさいよ」という意味である。蛇足ながら、もし今回のお祈りメールの締めくくりを英語に直訳するとしたら、たとえば、
“We wish Prof. Nakamura would be able to continue his study to achieve something great as a development of physics that could be suitable for and not degrade the Novel Prize.” くらいではないだろうか。かなり無礼な表現だが、文頭に We cannot completely deny his possibility currently, so などを加えると、さらに悪意に満ちたものになると思う。
率直なところ、彼が将来「「ノーベル賞に恥じない、物理学に大きく貢献する成果」を生み出す可能性は、私はゼロに近いと思う。さらにいえば、学問としての価値はもとより、裁判の二審判決でもわかるように特許としての商品価値もそんなに高くない。なぜなら、かつて青色LEDの製造で一時的に使われただけで、あの裁判がなされていた当時でさえ、もう使われていない陳腐なものになっていたという動かぬ証拠がいくつも出てきたからだ。彼が和解に応じたのは、最高裁で争った場合には、さらに不利な事実をつきつけられ、和解の6億円さえ消えてしまうかもしれないと弁護士が忠告したからだ。
中村さんは科学者ではなく、エンジニアとしても使い物にならない。彼がアメリカで立ち上げたベンチャー企業は、かなりの金をかき集めてされたものの成果を出せずに破たん寸前である。今回の受賞で篤志家がお金を出してくれるはずだから、まだしばらくは大丈夫だろうけれど。今回、中村さんは日亜に共同研究を持ちかけること自分の会社の延命をもくろんでいるのだなと、そう、私は受け取った。要は、自分の寿命が来て安らかな老後を過ごして死んだあとでなら、自分の会社が破綻しても、痛くも痒くもないということ。
一方、ノーベル経済学賞受賞者が作ったLTCMは悲惨極まりない末路を迎えた。ノーベル経済学賞の対象となった理論によれば30万年に1回しか起こらないはずになっていたことが、設立後わずか数年で起きて盛大に破綻した。その結果、大量の投資家や金融機関が資金を失い、全世界の経済が大混乱に陥るというスキャンダルだ。その時点ではノーベル賞受賞者もそれを選考したスウェーデン銀行の関係者も、みな生きていたから、みんなさぞかし辛かったことだろう。実際、ノーベル経済学賞の廃止そのものさえ論じられたくらいだ。(そもそもノーベル賞が作られたあとで、それに便乗して作られた経済学賞は、ノーベルの名をかたっているだけで本物のノーベル賞とはなんの関係もないのだが)
中村さんは60歳、彼が金をかき集めている事業が彼の寿命より長持ちする可能性はどれくらいだろうか? 少なくともまともな半導体メーカーや電子部品メーカーなら、係わり合いを持とうとは思わない。金を出す連中がいるとしたら、LTCM にいっぱい食わされたの同様な投資ファンドくらいだろう。ただ、連中もそんなに馬鹿ではないので、証券化して一般人に権利を売るなどして、他人の金で投資するはずだ。

私は科学者ではなく技術者なので、技術者をきちんと認めてくれる時代が来てほしいと心底思っている。でも、技術者にとって、ノーベル賞に賞金の額面以上の価値はない。そんなものよりも、あの少しあとにニュースになった、『浜松ホトニクスの開発した直径20インチの光電子増倍管が、米電気電子学会(IEEE)から技術分野の歴史的な業績をたたえる「IEEEマイルストーン」の認定を受けた件』の方が、今回のノーベル・新商品開発賞よりも技術者にとってははるかに高い名誉だと思う。なぜなら、あれは、本当のノーベル賞受賞者をこの世に生み出すために必須な、世界でもまれな電子デバイスを作り続けてきたという評価だから。

日亜化学が高輝度光寿命な青色LEDを商品化したそのとき、私も勤務先でサンプルをとりよせ、あまりの眩しさに感激したものだった。しかし、その後、マスコミが奇妙な虚像を創作しはじめ中村さんもそれに踊ってしまったのを見るようになってからは、もはやこの人は技術者ではなく(科学者であったことは最初からない)、芸能人だなと冷ややかな気分にしかなれなかった。一番悪いのは、虚像を創作して記事を売りさばいたマスコミだが。
未だに苦労話としていまでも面白おかしく報じられている、実験中に爆発事故を何度も起こす化学工場の話が典型的である。それが本当の話だったなら、日亜は2度目の事故の時点で操業停止を食らったはずだし、危険で違法な実験として行政処分を受ける。消防署なり労働基準監督署なりに事故の事実があったかどうかを問い合わせた記者はおそらくひとりもいない。「マンガにでてくる町の発明おじさん」のイメージで作った作文に過ぎない。従業員が死んでも不思議ではないような事故を繰り返し起こすような研究なら、会社にはそれを禁じる監督義務があり、放置や黙認をしていいわけがない。会社が処罰される。

中村さんは、日亜に対して「会いたい」という連絡を一切していない。徳島大学に賞金を寄付したいという話も、マスコミ向けの会見の場でだけしていて徳島大学には伝えていない。つまり彼の言動は、あくまでもマスコミ向けのパフォーマンスであり、演技として記者会見の場で述べてみせているだけということである。当人も自分のレベルはわかっているだろうから、マスコミの威を借りて世間にアピールすることはできても、電話の一本さえ、日亜に直接かけることは怖くできないのだ。それどころか、なんとか徳島に行きたいと思いつつも恐ろしくて徳島に行くことさえ自分ひとりではできない。だから、マスコミの連中にぞろぞろと付き添ってもらって、マスコミのカメラの前で『日亜科学を許す寛大なノーベル賞受賞者様』を演じることを画策した。中村さんは、率直な話、「STAP捏造事件」の理研の小保方晴子さんほどはひどくないけれど、あの件で自殺に追い込まれた笹井芳樹さんのような実力、実績は何もない。むしろ、「全ろうの作曲家」として活動した佐村河内(さむらごうち)守さんに近い。マスコミが作って売りさばいているくだらん虚像だ。STAP細胞よりはましだが、ニセ作曲家とはいい勝負している。

要するに、それらのスキャンダルと同様に物を作らない連中が、イロモノを書き散らしているなのだけである。三原色そろったから、きれいなイロモノ記事を書けるようになったわけですな。こんな人たちにものづくりを語って欲しくない。懲りないやつらだ。

2014.11.08

わかる人にはわかる。と、いうこと。

今日、何気なくニュースサイトを読んでいて「ああ、プロをだまして何かの偽装工作を結果的に手伝わせようとしてもも、わかる人にはわかるんだから、むしろ自白するようなものだ」と、思った。こういう記事だ:
『修理要請、実はひき逃げ事故車 JAF職員が直感で通報』
http://www.asahi.com/articles/ASGC74VTYGC7OBJB004.html

自転車を相手にひき逃げ事故を起こした男が、事故現場から少し遠くに移動したのちに自分の自動車のタイヤを道路の縁石にぶつけてパンクさせ、普通の自損事故を装ってJAFに修理要請をしたのだ。そうやって、公的機関に近い立場にあるJAFに「この車からは、どこそこで自損事故を起こして修理要請を受けています」という記録を作ってもらっておけば、後で警察から調べを受けたときに「事故は起こしましたが自損事故であって、ひき逃げ事件のことは知りません。JAFが証人です。」と、アリバイ工作できるという算段だろう。自損事故を起こすまでに40分経過しているから、事故で気が動転したせいで、続けて本当に自損事故をやってしまったとは考えにくい。
自転車にぶつかった自動車には、それなりの損傷が車体にできる。縁石に乗りえあげてパンクしただけの自動車なら、タイヤが破れるだけで車体そのものに何かとの衝突痕ができるわけがない。JAFの人は事故車を見て、「これはよそで別の事故を起こしている」と直感し、警察に通報。運転者はひき逃げ容疑者として検挙された。

古い推理小説でも、殺人犯が自分に服についた返り血をごまかすため、別の服に着替えてから、知人に手伝ってもらいつつ自宅で飼っていたニワトリをさばき、わざと血まみれの服を作るというトリックがあった。警察にその服を提出し、警察がこれはヒトの血液ではないと判別してくれれば、自分は容疑者のリストから除外されるはず、というのが犯人の目論見だった(しかし、殺人の返り血は衣服以外のところ、つまり犯人の体自身にもついていた。作中の刑事は世間話を装いつつ、身だしなみを整えなさいよといって犯人に指のつめを切らせ、その後、犠牲者の血液が付着していた「つめの垢」を証拠として犯人を捕まえる)。

ついでに言えば、人身事故の証拠隠滅のために、わざと自損事故を起こしてすぐに車を修理にだし、修理会社に「確かに、自損事故を起こしたのが明らかなこの車の修理をしました」と証言させる・・・ なんてのは、過去に実行した者がいくらでもいるので、修理をする人は「そういうアリバイ工作に自分が利用されることがある」ということをあらかじめ教わっているはず。

それにしても、このひき逃げ事件の場合、タイヤをパンクさせるなんて安上がりな事故でごまかそうとしたとは、プロのロードサービス員を見くびりすぎだ。少なくとも、修理する人が見ても自転車との衝突痕に気がつかなくなる程度まで車を壊すくらいの工作をしなければ、わかる人は見た瞬間に「ただのパンクのはずがない、これはよそで別の事故をやらかした自動車だ」と即座に見破るのは当たり前

ただのひき逃げでも重罪だが、隠蔽工作をすると罪は一段と重くなる。プロをだまして隠蔽工作に利用するというのは推理小説に出てくる用意周到な計画犯罪ならともかく、不注意でひき逃げをやらかした直後に思いつきで画策してもうまくいくはずはない。まあ、そういう損得勘定をできる人なら、最初の事故現場ですぐに自分から警察に連絡をするはずで、ひき逃げ事件そのものが発生しない(通常の人身事故になるだけ)。

この記事の事件の場合は、被害者はたまたま軽症ですんでいたというのが、せめてもの救いだった。やれやれ。

2014.10.28

専門家は、専門用語に敏感に反応する

軽度ながらもうつ病を再発して、6月から通院中である。抗うつ剤を何ヶ月かは服用し続けることになるので、副作用による悪影響が生じていないかを確かめるための血液検査を、先日受けた。
私はこの病院では始めて受ける血液検査だったので、看護師は、血液検査をする理由などを丁寧に説明してくれた。そして、その中で、「まれにですが副作用でコレステロール値が変わったりすることがありますが、現在、それに関連するような治療を受けていますか?」と、聞かれたので、春に受けた定期健康診断でコレステロール値が高かったから、近所の内科でコレステロール合成阻害剤をしばらく処方してもらいつつ、体重を少し減らし、途中の検査でコレステロール値が下がって以降は通院をやめてしまったので、もしかしたら、下がってくれていた数値は逆戻りしているかも知れない。と、伝えた。
すると・・・ おや?

それまで、職業的に、「何もわからない患者に、やや作り笑顔を浮かべつつ優しく声をかけていた看護師」が、なぜか急に少し緊張した面持ちで姿勢を正して、「医療関係の業界の方ですか?」と、聞いてきた。こちらはわけがわからないまま、「いえ、ただの患者です」と答えるだけだ。どうも、普通の人なら「コレステロール値を下げる薬」とか「コレテロールに効く薬」というべき場面で、私が「コレステロール合成阻害剤」を言ったので、私のことを医療関係者か何かではないのとか敏感に反応したしたようだった。いや、でも、珍しい分野の医薬品ならともかくなぜに広く一般的に使われている薬についてのこの一言に過敏に反応したのやら、ちょっと不思議な感じがした。そもそもコレステロールは人間が生きていくうえで必要不可欠な化学物質で、あまりに必要性が高いので食べ物からの摂取ではなく、ヒトの肝臓は毎晩せっせとコレステロールを合成している。血中コレステロール値の半分は自家製なのだ。コレステロール値を下げる必要があるなら、肝臓でのコレステロールの合成にブレーキをかけるのがもっとも効果的であり、、コレステロール値が高いときに内科で処方されるもっとも一般的な薬がコレステロール合成阻害剤だというのは、いまどき当たり前のこと・・・ くらいは、中年以降、健康診断でコレステロール値が高いときに医師が丁寧に説明してくる。それに続けて、「薬で下げても、生活習慣を変えない限り服用をやめたら逆戻りですよ」と念を押される。誰でも知っていることのはず・・・ ではないの?

もしかしたら、彼女は精神科の看護師として、他の病気の患者に話しかけるときよりも特に意識して優しい態度を作っていたかもしれない。精神科に来る患者は精神的ストレスを受けていているのだから、そういう配慮は自然だしありがたいことだ。私は決して軽く見られたとは思わない。最初に書いたように「ただの患者」ですから。でも、この看護師は。目の前の相手が医療関係者だったら、優しすぎるのはかえって失礼なことになりうると、あわてたのかも知れない。

とくに、何か悪いことがあったわけでも、誰も怒ったり困ったりしたわけでもない、日常での些細な出来事であったが、「業界関係の方ですか?」という問いに対する、「ただの患者です」という返事、今になって思い出してみると、どこか少しこっけいな寸劇のような感じがしないでもない。でも、それ以外になんと答える?

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