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2015.08.11

心の値段

もし今、どこかの貧乏な自治体が、地元や近隣の医師や弁護士などに呼びかけて「今度の日曜日に住民向けの無料相談会を開こうと計画中です。財政が厳しいため交通費とお弁当代ぐらいしか出せませんが、協力していただけないでしょうか?」と、言ったと仮定する。休日に事実上の無料奉仕を求めているわけだが、呼びかけに応じてくれる先生はゼロではなく、何人かが、善意とプロとしての社会的義務感からこの企画を手助けしたとしても不思議はない。
一方、もしこれに追加の報酬として「時給は1000円です」と付け加えたら、手伝ってくれる人は増えるだろうか、減るだろうか。経済合理性という点から言えば、ゼロ円よりは1000円のほうがマシである。だが、そもそも割にあわない奉仕活動に参加するという決めている時点で、その人は経済的見返りなんて求めていない。その善意に対して、「あなたの時給は1000円です」と値付けしてしまったとき、それを喜ぶ人がいるか/手伝っている人が増えるか、と問われれば、「それは逆効果のおそれもある」と皆んな思うのではないだろうか。
別に無償だから偉いとか偉くないという話ではなく、自分のプロとしてのプライドを、そんな金額に換算されてしまってはたまらないと抵抗を感じるのは、仕事に誇りを持っている人ならどんな分野であっても同様だと思う。
こんな単純な例であっても、経済合理性というものが人間の行動に対して与える力には限界があり、「利潤動機」のたぐいも実際よりも経済学では過大評価させているような気がする。もちろん、その点を重視した行動経済学という分野も発展中だが、それと、既存の経済学との整合性はまだ十分にとれていない。また、経済的に不合理な行動をする人間がいるということを、経済的合理主義で行動する人間が知った場合、その不合理さを承知の上でそれに追従するほうが合理的であると判断する場合もありえるので、合理主義は不合理を打ち消すどころか、かえって拡大することもありえる。
実を言えば、そもそも「利潤動機」とか「利潤の最大化」といったことそれ自体が、不合理を内包している幻だと、私は思っている。国内外の社会問題の多くは、この幻想に(おそらくは嘘であることを承知で)しがみついている人がいるせいで、解決困難になっている。お金で人の心は買えない(売ることもできない)。多少の買収はできても、それはある日突然ひっくり返るあやふやな取引だ。
今日の原発再稼働のニュースを見ていて思うのは、補償金を受け取って原発再稼働に賛成している人も、事故なんて発生するはずがないという前提で賛成しているということ。要は掛け率のよい博打に過ぎない。博打に負けた時に、それを当然のこととして受け止めたりはできない。なぜこうなった、こんなはずではなかったのにと後悔し、怒り、嘆くのは人間として当たり前のことだ。あらかじめ心を買収しておくことは絶対できない。買収しようとしている側も、本当は事前買収は不可能だ、事後保証はどうなるか見当もつかないと知っていながら、目先の締め切りを守るために書類をでっち上げているだけである。

あとは祈るだけ。技術系出身役員が多い九州電力なら、法学部出の役員ばかりだった東京電力よりは原発をマシに管理できるだろう、なんとか廃炉までの数十年間つつがなく過ごせるだろうと、祈るだけである。

心は、売りたいと思っても売れないし、買いたいと思っても買えない。魂を買い取ってくれる悪魔なんて都合のいいものは、どこにもいない。「今のところ、売れたと思っている」「今のところ、買えたと思っている」だけで、実際に所有者は移転してない。する方法もない。少なくとも今の科学技術の範囲では無理。

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