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2014.11.11

『お祈りメール』で門前払いを食らったノーベル賞受賞者と、マスコミの懲りない人々

何年か前から使われ始めた言葉かは知らないが、「お祈りメール」という言葉がある。企業の人員募集に対して応募したときに届く、「貴殿のご活躍をお祈り申し上げます」という言葉で締めくくられた不採用通知のことだ。
似たような言い回しは英語にもあって、
“Allow us to keep your name and contact information in our database if an opening suitable for you becomes available in the future.” (将来あなたにふさわしいポジションが空くかもしれないので、あなたのお名前と経歴を記録に残させて下さい)
と、いうような言葉で締めくくったりする。だが、そんな社交辞令を信じるのはバカである。そもそも、「あなたの名前と経歴を記録に残す」とは、極端に悪意に解釈するなら、「もう一回応募書類を提出する必要はない。二度と応募するな」という意味合いもないではなく、俗にいうハリウッド方式で「使う気になれば、こちらから連絡する。こっちは忙しいんだから、いちいち問い合わせの電話なんかしないでくれよ」という意味もありえないではない。

さて、かつてTOEICを受験したとき、ある回のテストに出題された不採用通知メールの文面に、まさにそういうものがあった。『採用選考というのは非常に難しいことで、御返事が遅れて申し訳ございません』とクドクド謝罪する書き出しで始まり、その先頭の1行を見た瞬間に不採用通知だとわかるくらい明白な不採用通知である(採用通知なら、連絡が遅れたことを詫びるのは文末である)。当然ながら、締めくくりにある『代わりのポジションがあるかもしれない』も、馬鹿馬鹿しいくらいあからさまな社交辞令だと思った。
そして私は、その問題でひとつ誤答をした。それは、「このメールには何が書いてあるか」を、4つの選択肢から選ぶ出題だった。語学のテストとしては、選択肢として、その社交辞令の表向きの内容どおりの意味に受け取る短文を選ぶのが正解だった。なぜなら実のところ、出題の中にあった残り3つの選択肢は、その不採用通知メールには書かれていない話だったから。消去法で選ぶと、正解になりうるのは、確かに社交辞令を真に受ける選択肢しかない。とはいうものの、社交辞令をそのまま額面通りに受け取るような脳天気な選択肢を、私はどうしても選べなかった。たまたま私は当時失業中だったので、あの試験問題の文面は読んでいて辛かったなと今でも思う。
日本企業のお祈りメールの文章が日本語の試験に出たとして、「この会社は応募者の成功を祈っている・・・ イエスかノーか?」と出題されたときにイエスと答える人は、初級の日本語学習者であっても、たぶんいないと思うよ。社交辞令は世界中にある。

この種の『お祈り申し上げます』の話題で、少し前にニュースで報じされネットでもちょっとした騒ぎになったものとしては、かつての勤務先にたいして和解と共同研究をマスコミの記者会見で申し出た今年のノーベル物理学賞受賞者、中村さんに対する日亜化学の礼儀正しい返答がある。

「中村教授が、貴重な時間を弊社への挨拶などに費やすことなく、今回の賞に恥じないよう専心、研究に打ち込まれ、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるようお祈りしております」

正直な話、大変申し訳無いとは思うが、あの「お祈りメール」を見てニヤリと笑わなかった学者、技術者はいないと思う。なぜなら地道に先行研究をしてきた赤崎先生ならまだしも、中村さんが受賞したのは、いわば「ノーベル商品賞」であって物理学としての価値などないから。もちろん、世の中の役に立つ商品を安く大量に生産する方法を見つけ出すことは、研究室の中で100個試作してひとつできるかどうかというような「売り物として話ならない珍奇なもの」を作ることよりも、社会的には意味があるだろう。でも、世界で最初に発光ダイオードというものそれ自体(色は赤だった)を発明したアメリカ人には、ノーベル賞は贈られていない。科学的な価値という意味では、後者のほうが100万倍貴重だと私は思う。が、赤色発光ダイオードが発明された時代には、もっと基礎科学的な研究分野にノーベル賞が贈られていたので、商業的に素晴らしいという研究は、最初から評価の候補や対象にはならなかった。ところが近年になって、ノーベル賞選考委員たちは、世間に受けるネタを選ぶようになってきた。難しすぎて一般人に理解できない賞だと、世間におけるノーベル賞の価値が下がるからかもしれない。わからないこともない方針転換だけど、それならいっそ、iPod を発売したアップルのジョブズやWindowsのビル・ゲイツにノーベル商品賞を贈ればよい。

ところで、この日亜化学のコメントを見て、私が即座に思い出したのはイギリスのバーナード・ショーとチャーチルの間でなされたという手紙のこと。バーナード・ショーが、
“I would be honored if you would come up with your friends, if any.”(私の作品の舞台を見に来ませんか、お友だちも誘ってきてください。もしいるなら)
と、書き、チャーチルが
“I'm sorry I have another plan on the opening day. I would be glad to come on the next, if still run.” (あいにく初演の日は都合がわるいのでお伺いできません。翌日に参ります。もし、まだ上演されているなら)
と、切り返すという話だ。

できすぎているので実話ではないかもしれないが、それはともかく、日亜化学のコメントの最後にある「ノーベル賞に恥じない、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるようお祈りしております」を見て、私はその後に続く「もしできるならね」という嘲りが隠れていると、読み取ってしまった。そう、あのお祈りメールは「ノーベル賞に値する仕事なんかやったことのないお前さんが、いったい何をぬけぬけといっているの。少しは恥を知りなさいよ」という意味である。蛇足ながら、もし今回のお祈りメールの締めくくりを英語に直訳するとしたら、たとえば、
“We wish Prof. Nakamura would be able to continue his study to achieve something great as a development of physics that could be suitable for and not degrade the Novel Prize.” くらいではないだろうか。かなり無礼な表現だが、文頭に We cannot completely deny his possibility currently, so などを加えると、さらに悪意に満ちたものになると思う。
率直なところ、彼が将来「「ノーベル賞に恥じない、物理学に大きく貢献する成果」を生み出す可能性は、私はゼロに近いと思う。さらにいえば、学問としての価値はもとより、裁判の二審判決でもわかるように特許としての商品価値もそんなに高くない。なぜなら、かつて青色LEDの製造で一時的に使われただけで、あの裁判がなされていた当時でさえ、もう使われていない陳腐なものになっていたという動かぬ証拠がいくつも出てきたからだ。彼が和解に応じたのは、最高裁で争った場合には、さらに不利な事実をつきつけられ、和解の6億円さえ消えてしまうかもしれないと弁護士が忠告したからだ。
中村さんは科学者ではなく、エンジニアとしても使い物にならない。彼がアメリカで立ち上げたベンチャー企業は、かなりの金をかき集めてされたものの成果を出せずに破たん寸前である。今回の受賞で篤志家がお金を出してくれるはずだから、まだしばらくは大丈夫だろうけれど。今回、中村さんは日亜に共同研究を持ちかけること自分の会社の延命をもくろんでいるのだなと、そう、私は受け取った。要は、自分の寿命が来て安らかな老後を過ごして死んだあとでなら、自分の会社が破綻しても、痛くも痒くもないということ。
一方、ノーベル経済学賞受賞者が作ったLTCMは悲惨極まりない末路を迎えた。ノーベル経済学賞の対象となった理論によれば30万年に1回しか起こらないはずになっていたことが、設立後わずか数年で起きて盛大に破綻した。その結果、大量の投資家や金融機関が資金を失い、全世界の経済が大混乱に陥るというスキャンダルだ。その時点ではノーベル賞受賞者もそれを選考したスウェーデン銀行の関係者も、みな生きていたから、みんなさぞかし辛かったことだろう。実際、ノーベル経済学賞の廃止そのものさえ論じられたくらいだ。(そもそもノーベル賞が作られたあとで、それに便乗して作られた経済学賞は、ノーベルの名をかたっているだけで本物のノーベル賞とはなんの関係もないのだが)
中村さんは60歳、彼が金をかき集めている事業が彼の寿命より長持ちする可能性はどれくらいだろうか? 少なくともまともな半導体メーカーや電子部品メーカーなら、係わり合いを持とうとは思わない。金を出す連中がいるとしたら、LTCM にいっぱい食わされたの同様な投資ファンドくらいだろう。ただ、連中もそんなに馬鹿ではないので、証券化して一般人に権利を売るなどして、他人の金で投資するはずだ。

私は科学者ではなく技術者なので、技術者をきちんと認めてくれる時代が来てほしいと心底思っている。でも、技術者にとって、ノーベル賞に賞金の額面以上の価値はない。そんなものよりも、あの少しあとにニュースになった、『浜松ホトニクスの開発した直径20インチの光電子増倍管が、米電気電子学会(IEEE)から技術分野の歴史的な業績をたたえる「IEEEマイルストーン」の認定を受けた件』の方が、今回のノーベル・新商品開発賞よりも技術者にとってははるかに高い名誉だと思う。なぜなら、あれは、本当のノーベル賞受賞者をこの世に生み出すために必須な、世界でもまれな電子デバイスを作り続けてきたという評価だから。

日亜化学が高輝度光寿命な青色LEDを商品化したそのとき、私も勤務先でサンプルをとりよせ、あまりの眩しさに感激したものだった。しかし、その後、マスコミが奇妙な虚像を創作しはじめ中村さんもそれに踊ってしまったのを見るようになってからは、もはやこの人は技術者ではなく(科学者であったことは最初からない)、芸能人だなと冷ややかな気分にしかなれなかった。一番悪いのは、虚像を創作して記事を売りさばいたマスコミだが。
未だに苦労話としていまでも面白おかしく報じられている、実験中に爆発事故を何度も起こす化学工場の話が典型的である。それが本当の話だったなら、日亜は2度目の事故の時点で操業停止を食らったはずだし、危険で違法な実験として行政処分を受ける。消防署なり労働基準監督署なりに事故の事実があったかどうかを問い合わせた記者はおそらくひとりもいない。「マンガにでてくる町の発明おじさん」のイメージで作った作文に過ぎない。従業員が死んでも不思議ではないような事故を繰り返し起こすような研究なら、会社にはそれを禁じる監督義務があり、放置や黙認をしていいわけがない。会社が処罰される。

中村さんは、日亜に対して「会いたい」という連絡を一切していない。徳島大学に賞金を寄付したいという話も、マスコミ向けの会見の場でだけしていて徳島大学には伝えていない。つまり彼の言動は、あくまでもマスコミ向けのパフォーマンスであり、演技として記者会見の場で述べてみせているだけということである。当人も自分のレベルはわかっているだろうから、マスコミの威を借りて世間にアピールすることはできても、電話の一本さえ、日亜に直接かけることは怖くできないのだ。それどころか、なんとか徳島に行きたいと思いつつも恐ろしくて徳島に行くことさえ自分ひとりではできない。だから、マスコミの連中にぞろぞろと付き添ってもらって、マスコミのカメラの前で『日亜科学を許す寛大なノーベル賞受賞者様』を演じることを画策した。中村さんは、率直な話、「STAP捏造事件」の理研の小保方晴子さんほどはひどくないけれど、あの件で自殺に追い込まれた笹井芳樹さんのような実力、実績は何もない。むしろ、「全ろうの作曲家」として活動した佐村河内(さむらごうち)守さんに近い。マスコミが作って売りさばいているくだらん虚像だ。STAP細胞よりはましだが、ニセ作曲家とはいい勝負している。

要するに、それらのスキャンダルと同様に物を作らない連中が、イロモノを書き散らしているなのだけである。三原色そろったから、きれいなイロモノ記事を書けるようになったわけですな。こんな人たちにものづくりを語って欲しくない。懲りないやつらだ。

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コメント

こちらでははじめまして。
11月には私のつたないブログにお越しいただきありがとうございます。
すっかりお返事が遅くなってしまい、本当に申し訳ございません。
以下は、ほぼ私のところに書いたレスと同様です。

htsujiさんの記事も読ませていただきました。
海外にもお祈りメール表現があることを知り、また一つ勉強になりましたし、
こういう言い方をするのかと、じっくり眺めてしまいました。
その他、挙げられている例も書いていらっしゃる内容も、
非常に興味深かったですし、面白かったです。

特に、私が分かっていなかったのは、
「中村教授が、貴重な時間を弊社への挨拶などに費やすことなく、今回の賞・章に恥じないよう専心、研究に打ち込まれ、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるようお祈りしております」
この部分について、私が面白いと思っていたし、強烈だなと思っていたのは「今回の賞・章に恥じないよう専心、研究に打ち込まれ」という部分でした。
「今の在り方では恥ずかしいんだよ 君は! 専心しろよ、今度こそ」と言わんばかりの言いぐさだなと思いまして。
htsujiさんの記事を拝読いたしまして、「物理学に大きく貢献する成果」なのか、笑いどころはと知りました。
恥ずかしいのは私でしたね。

イギリスのバーナード・ショーとチャーチルのやりとりには噴き出しました。
私、こういうやりとりを読むのが好きなんです。
でも日本ではこういうやりとりあまり見ない気がします。
機知に富む表現やウィットに富む表現、ピリッと山椒がきいているような表現、
なかなか私からは出ませんので、見ると感心します。

私はちっとも進んでない英語学習ですが、また英語の記事も読ませてください。
ありがとうございました。

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