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2014.06.17

殺意を感じる相手はいない

4年くらい前のウツ病最悪期のとき、当時通っていた病院の先生から
言われたこと。おそらくは、自殺の可能性をある程度考慮しての言葉だったのでは
ないかと思うが、こんなことを言っていた。微妙な言い方をしていて、この先生の恩師の
言葉の引用だそうだ:

「人生で充実感を得る一つの方法は、大嫌いな敵よりも1日でもいいから長生きすること」
「『そうか、ついにあいつは死んだか!』と、いうのは、他には得難い充実感がある」

・・・と。おいおい、医者が行っていいことなの? と、一瞬思ったが、不愉快には思わなかった。
それ以前の先生との話でも、「実行したり口にしたりしない限り、心のなかで何を思うかは、
どんな内容であれ自由だ」と聞いていたからだ。遺族に暴言を吐くならトンデモナイ話だが、
もし殺しても飽きたらないというような人物がいて、そいつが、自分の手を下すことなく
死んでしまったというのであれば、そして、自分もそいつも年寄りで、どちらが先に棺桶に入っても
不思議はないという状況だったら、「そうか、アイツがくたばっか」と、一人で祝杯をあげるという
神聖ならざる喜びも悪くないかもしれない。そうほくそ笑むことによって、自分の今後の人生が
少しでも楽しくなり、それがまわり回って他の人に対する接し方にも良い結果をもたらすので
あれば、結構なことだ。まあ、もっと嫌なジジイになってしまうなら、それはダメだろうが。

今思うに、あの先生の話は巧妙に組み立てられていると思う。
まず、あの先生自身の言葉ではなく、すでに引退し棺桶に片足を突っ込んでいる老人の言葉で
あるということ。ならば、少々不謹慎であろうとも、憎悪の対象の自然死や病死を歓迎して
いい気持ちを味わうとしても、当人も遠からずして向こう側に行くのだから、それまでの数年を
過去のわだかまりから自由になって生きることを責めようとは思わない。
これが、まだ平均寿命までまだ20年以上あるような人物だと、ちょっと嫌な感じが強まるなと
私は思うが。幸か不幸か、私はまだ20年以上生きる。

先生の話のもうひとつの工夫(作り話だと見ているわけではない。実際に恩師から聞いたの
だろう)は、何か努力をしろとか、まして憎い敵を見返してやれとか、そういうことは何もなく、
ただ1日だけでも『アイツが死ぬよりも先に死なない』という条件を満たすだけでいいということ。
出世して見返せなんて激励を、ウツ病真っ盛りの患者にするわけがない。自己評価が
限界近くまで下がっている患者に対して、「ただ生き延びたというだけで、勝ちなのだ」と、
さり気なくメッセージを送っている。

毎回30分以上の話をしてくれる先生だった。精神科専門の大病院で、他の医師がもっと
投薬中心の短時間の診療で患者数をこなしているから、こういう精神療法の先生も在籍して
できるのかな、これでは儲からないだろう・・・ などと思ったものだが、でも、何度かこの先生の
前では号泣することができた。他の先生では、そういうことはほとんどない。

それはともかくとして、私は、不思議と、誰かを殺したいと思ったことはない。少なくともここ
2,30年は。かりに完全犯罪が可能な条件が与えられたとしても、殺害したいとは考えない。
死ねば祝杯を上げる・・・ と、いうのも、あまり実感がわかない。

嫌いな人物はいた。10年以上前に縁が切れ、今でも会いたくもないし、同じ部屋で空気を
吸うのもかんべんして欲しいと思うような人は、ひとりかふたりいるが、それでも、そいつが
死んで嬉しいかというと、たぶん訃報を聞いても嬉しくもなんともないだろう。

面白いことに、映画やニュースなどでは、何らかの集団に対する漠然とした殺意を感じる
ことはある。どういうわけか、個人には殺意を感じない。自分の身に危険が及べば
自衛的に反撃して殺すというのはあるだろうが、それは憎いからというより怖いから攻撃
するのであって、危険や恐怖がなくなれば殺すはずはない。
万が一ありうるとしたら、家族に重大が危害が加えられて復讐劇を繰り広げるというような
ストーリーに自分が巻き込まれた場合くらいだろうか。

そんなこんなもあって、実は、「憎いアイツよりも1日でも先まで生き延びることができれば、
大きな充実感を味わえるかもしれないよ」と、いう、あの先生の話は、一般論としては
そういうものだろうなと納得し賛成もできるのだけれど、幸か不幸か、私自身には
当てはまることがない。怒ったり、罵ったりという程度なら、かつて感じたことはある。
それも、何度もある。でも、それは殺意や憎悪というより、苛立ちからだった。危害を
加えたいと思ったことはない。

それとも・・・ もしかしたら、「今にして思えば、殺意など無かった」というだけで、
かつては感じていたという事実を、さっぱりと忘れてしまったのだろうか? これは、
当時の記録があるわけでもないので、もうわからない。

とにかく、「私にとって、殺してやりたい相手や、死ねば祝杯を上げてやるぞと思う
ような相手はいない」ということは、まずは喜ばしいことだろう。ただ、そこまでの憎悪は
ともかくとしても、他人に対する感情が希薄であるという点では、いいことばかりではない
のかなという気もしないではない。だって、よく付き合う友人も、身近にはひとりも
いないのだから。(幸い、高校時代の友人の一人とまだ付き合いは続いている。ただ、
お互い遠くに就職したので、会う機会はほとんどなくなってしまった)

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