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2014.05.31

発電所の名前

落ちのない与太話。

休日なので衣類を洗濯中。当たり前だが、洗濯機は電気で動いている。
ふと思ったこと・・・
発電所には、電力の元になるエネルギー源の名前がついている。
水力発電所、原子力発電所、風力発電所、火力発電所などなど。
どれも「力」という文字が入っている。

では、光で発電しているあれは、
物理学的に考えても、光子の持つエネルギーによって半導体中の電子が動き、
発電しているのだから、光子力という言葉を冠するべきだ。
つまり「光子力発電所」じゃないのかな? うん、この名称以外にありえないという
気さえしてきた。きっと、弓教授がいるに違いない。

どうしても太陽という言葉を入れたいなら、「石炭火力発電所」などと同様な言い回しで
「太陽光子力発電所」にするべきだよね。

・・・などと、どうでもいいことを考えつつ、洗濯中。

2014.05.25

困ったな。仕事が手に付かない

正当な理由はない。
例えば心配事があるとか体調が悪いというような、仕事が手につかない理由があるわけではなく、
ただ「何をどうすればいいか分からないから」仕事が手に付かない。
最終的にできあがるべき成果物の姿は、一応わかっている(これが若干曖昧なのも、
仕事が手に付かない理由かも知れないが)
問題は、最終的につくり上げることになっているものを得るために、そういう手順で何をしていけば
よいのかが、よくわからないということ。

昔なら、そういうときには、思いつくことを試し、結果を見て方針を立て直したものなのだが、
今はあまり思いつかない。概略は思いついても、実際に自分の手を動かして何かをするという
行動に結びつくようなことがらが分からない。

非常に困る。どうしたらいいのやら。

2014.05.19

Visual Basic は素朴で美しいと思った

過去の経緯からか、ソフトウェア技術者はBASICと名のつくコンピュータ言語を一段下にみる傾向があるような気がする。実用上は大事でも、実用性ゆえに付け焼刃的なものになっているとか、技術力の低いプログラマのための言語だというような感じで。なにしろ、技術解説サイトにあるVB.netの解説記事の中でさえ、「C#ではなくVBを使う意味」を、なんとなく言い訳がましい感じで説明している。
一方私は、家電やゲーム機向けのソフトの開発、ハードウェアのデバイスドライバの作成と言った仕事をしてきた関係で、これまでずっとC言語一本槍で、それ以外については、ほんの少しだけC++やC#を触った(仕事で)とか、勉強のために趣味的にPHPやJavascriptを試したという程度で、事務系ソフト開発の最大派であるVBとは完全に無縁だった。そのため、VBに対しては特に否定も肯定もする気はなく、単に自分とは別の分野のものとしか思っていなかった。

ところが、今の会社に就職して、古いソフトのメンテナンスを担当するようになった。VB6.0やそれよりも古いものを使って作成されていたものを、順次、新しい言語環境で書き直す必要がある。私は、VB6.0も、今のVB..netも知らない。というより、Windowsのプログラム全般について無知だ。そういうわけで、今さらながらVB6.0を勉強したり、Visual Stuidio 2008~2013をダウンロードしてMSDNにあるサンプルプログラムをコピー&ペーストして .netの使い方を見よう見まねで試していたりする。

それで思ったこと:「VB6.0はともかく、今のVBについて悪口をいう人の気が知れない。十分、美しいじゃないか」
もっとも、私が美しいと思った部分がどこかという点については、なぜかVBの美しくない部分としてネットでは批判を受けているので、ここには書かない(書いたけど、投稿ボタンを押す前に消した)。
私は初心者。余計なことを書いてひんしゅくを買いたくはないのだ。

では何が言いたいかというと、知らない技術について勉強することの楽しさ、面白さを久しぶりに味わっているということの報告だ。残念ながら、まだ「仕事が楽しくてしょうがない」というような状況ではなく、抑うつ感に悩まされつつの一進一退だけど、それでも「おや、これは面白いね」と感じる機会があるというのはとても嬉しい。

2014.05.15

『やる気が出る』とは、どういうことか?

ここ数ヶ月、仕事も遊びも「やる気がでない」状態が続いていて苦しい。
実際には「やる気」などという物体は、この世には存在しない。汗や唾液が出るような意味で、何らかの条件によってセロトニンやドーパミンのような物質として、「やる気」が脳内に分泌されるわけでもなく、実際には精神活動が「ある状態」から「別の状態」に変わっているだけだ。
少し前から、行動分析学の本を読んでいて、自分なりに考えて、自分の心のなかで日々起こっていることを見つつ、なんとなく「こういうことかな」と思ったことを、メモ代わりに書いておく。

やる気が出るとは、
1.今の作業を楽しい、面白いと思っている状態になること
2.将来の結果を、「今の時点で」想像して、それを楽しいとか面白いとか有益だと、「今」思うこと。

結局の話、未来のことは今の自分には影響を与えない。未来のことを、今、どう感じているかという、あくまでも現時点での自分の思考活動によって、何か仕事なり遊びなりをやりたいと思うだけだ。未来のことに興味がない、未来のことに実感を持てないときには、いくら理詰めで「こうすれば、将来自分にとっていいことがある。メリットがある」と考えても、あるいは人から言われても、今の時点で楽しさやありがたさを実感できないから、「やる気」にはならない。すべては、現時点で利益や喜びを感じることができるかどうか。に、かかっていると思う。

そう考えると、少しだけだが、意識的にやる気を誘導できそうな感じがする。単純な話、「これを実行すると、その結果、どんな良いことが起こるか、なるべく具体的な体験を想像してみる」ということ。抽象的な「収入が増えている」とか「会社で評価される」などでは、ダメ。得たお金で何を買い、それを使って楽しんでいる自分の姿を考えるとか、趣味なら趣味で、練習後の成果を友人に見せた時のことを考える。それは実現しないかも知れない架空の話だけれど、それを考えている今の自分の精神状態に、はっきり影響を与える。

一方、未来に関する悪い予想をして、それを回避するために努力するというのも、やる気を出す重要な方法だが、これは未来について考えることそれ自身を嫌悪するようになるので、避けたほうがいいと思う。少なくとも、一人で実施する作業ではない。危機管理などのために、未来の不幸なことについて考える必要がある場合には、自分以外の人と一緒に考えたほうがいい。

私自身は、過去一貫して、「将来のために備える」ことの重要性を、本当に重要かどうかわからないまま盲信して、かなり無理をしてきた。その結果、人よりもいろんな知識を身につけてはいるが、それらは必要に迫られて学んだものではないので、使い道がほとんどない。今にして思えば、よくもそんなものを勉強しようと「やる気」を出して頑張ったものだが、それは、最初に書いた、
1.今の作業を楽しい、面白いと思っている状態になること
に、うまく合致したからだと思う。残念ながら、2が含まれていないので、ひと通りの勉強が済んだあとでも、得た知識の使い道はさっぱりわからないままである。教養が大事だというにしても、つぎ込んだ労力を考えると無駄が大きすぎたと思う。しかも、使わないので、どんどん忘れている。もったいない、が、使い道はない。

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