毎日泣いて暮らす日々
昨年末のころに比べると、うつ状態はかなりよくなっている。
以前は、後ろから追いたてられるような、よく理由の分からない圧迫感や無力感を感じていて、とても苦しかった。自分が仕事をこなせるとは全く思えず、納期を守れないなら辞表を出したほうがいい、自分は無能だというような気分だったが、それは1月中におさまった。仕事も何とかできている。
だが、圧迫感の代わりに表にやってきたのが、寂しさや喪失感だ。隠れていたものが出てきたのかも知れない。仕事中はまだいいのだけれど、仕事が終わって家に帰るとき、そして家にいるときや散歩しているときに、私は小声で「私は一生懸命がんばってきました。何年も何年も努力してきました」とつぶやく。そして、悲しくなって涙をポロリと流す。つぶやかず頭の中で考えても、もちろん涙は出る。2月以降、私は毎日、こうして泣いている。会社で仕事中にも、ふとそういう言葉が頭に浮かび泣きそうになることはあるが、そのときは、考えを頭から追いはらうため自分の呼吸を1,2,3・・・と数えて心を落ち着かせる。これで涙は止まる。コントロールは一応できている。泣くのはプライベートのときだけである。
散歩のときなどは、人気のない広い田んぼ道の真ん中で、つぶやきより大き目の声で「私はかんばってきましたー」と言う。言葉にメロディを付け、歌にすることもある。内容はいつも同じだ。がんばった、努力した、もっとうまい生き方があったはずだ、理想を追求したけど本当はそんなことしなくてよかった・・・ そしてポロポロと涙を流す。つらい。そんなバカなこと、やらなければいいのだが、やらないではいられない。ほどほどに泣く限りにおいては気持ちがいい、ということもある。しかし、この気持ちよさは、つらさと紙一重、というより、つらさとカタルシスは同時にやってくる。
仕事から家に帰ってきて涙を流すとき、日によっては感情がかなり高ぶってつらくなることがある。そういうときは会社が用意している従業員支援プログラムの「心の電話」のカウンセラーに電話をする。このときは、涙のせいで言葉を続けられないこともある。だいたい3,40分くらい話す。これは、2週間に1回くらいある。
そんな風に、今、私は毎日泣いて暮らしている。
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