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2006.02.12

リアルでないCGのゲームを見たい

どんなに分別ある大人を装おうとも、誰でも、時として『夢多き学生』のようなことを考えることがあると思う。(などという前置きを書くのは、すでに体裁をとりつくろうオヤジになった証拠である・・・) さて、今日は、ただの思いつきを書こう。具象的な3次元のCGデータから、感性だけを抽出して抽象画を作るようなコンピュータプログラムをプログラム作ることはできないものだろうか。

いや、思ってみただけなのだが、いい加減、もう『リアルなCG』には飽き飽きしているのだ。テレビゲームも、リアルさを自慢するなら、PS2やXbox1で十分。ゲームのCGは、人類の絵画の歴史から 500年以上遅れている。いやライティングに気を使い始めているから、もうちょっとはマシか。それにしてもつまらない。

リアルさを追求することも大事だが、ゲームの面白さにはほとんど効果がないばかりか、莫大なモデルデータの作成に金と人と時間ばかりかかってしまうため、商品としての競争力を著しく損なっている。これは、ゲームとしてての品質がどうだこうだという以前に、単なる値段の問題。ゲーム以外に安価な娯楽がいくらでもあるという事実は、ゲーム業界関係者の人なら誰でもみんな知っているはずなのに、なぜ、商品の価格競争力を落とす方向に「軍拡競争」を進めているのだろう? 任天堂のDSのソフトが爆発的に売れているのは、値段が安いからだ。ソニーとセガの Playstation と Saturn も、それ以前のゲームより安い値段でソフトを提供できたから任天堂のシェアを奪うことができた。

もちろん、リアルでないCGを使ってゲームソフトを作るということと、安価に開発するということとは別次元の話だし、リアルでない特殊な映像を使ったら面白いものになるという保証もないのだけれど、すでにCGリアルさは競争力をもたらすものではなくなっている。その証拠が、マイクロソフトが Xbox360 でやっている「ハイデフ」キャンペーンだ。性能競争の結果、既存のテレビではCGの画質の差が分からなくなったから、客に新しい高価なテレビを買えと言っているに過ぎない。

しかし、既存のテレビでゲームを楽しめるなら、Xbox360のためにHDTVを買う人はいない。既存のテレビで楽しめないなら、Xbox360を買う人はいない。携帯ゲーム機のように、ゲーム機それ自身に画面表示のための部品がついているのであれば、その表示器の高精細さを宣伝するのは当然のことだ。しかし、客がわざわざ、その商品とは別に非常に高価な新しいテレビを買わなければ使うことのできない機能を全面に押し出して宣伝するというのは、あまりまともな戦略ではない。残念ながら、消費者は全く相手にしなかった。地上波デジタルへの移行に伴い、あと5年もすれば、HDTVの普及率は十分高くなるかも知れないが、そのころには Xbox360の商品としての寿命は尽きていて、Xbox720か何かが発売されているはずだ。

マイクロソフトがなぜこういう戦略ミスを犯してしまったかについては、過去の経緯を基にしていくらか推測できるが、それはまあどうでもよい。基本的な問題点は、「リアルなCGを作ることが目的化してしまって、安価な娯楽を提供するという、ゲーム機に求められている本来の用途がなおざりにされてしまった」という点である。任天堂もNitendo64で、ソニーはPS2で、いくらか似たミスを一時的に犯した。年内に発売されるという、両者の次世代機はどうだろうか。個人的には、もう、天ぷら油を塗りたくってテカテカ光っているかのような人物や自動車は見たくないのだが。

現物に近いCGを作るのが悪いというつもりはないのだが、基本的には大量の数値計算を力ずくで解いているだけである。ただリアルなCGを表示しているだけのゲームなら、一番偉いのは高度な計算能力を持つ半導体を作ったLSIメーカーであって、ゲーム開発者はその恩恵に浴しているユーザーに過ぎない。もちろん、最終消費者にとっては、誰の能力がもっとも製品に寄与しているかなんてことはどうでもよく、最終的に得られるゲームがおもしろいかどうかがすべてなのだから、半導体メーカーとゲーム会社のどちらが偉いかなどという話は無意味だ。とはいうものの、「ハードの性能が高くなったせいで、開発コストが増加し中小のメーカーにはゲームが作れなくなった」などという話を聞くと、いったい何のための性能競争だという気がする。

2006.02.07

親切な助言者さん

とある掲示板。英語を勉強中の人が集まっているところを読んでいてちょっと嫌な気持ちになった。

ちょっと話を単純化するが、「年を取ると、もう勉強しても無駄だから勉強なんてあきらめましょう。若い人には勝てませんよ」と、説いている人がいた。どうやら本人は年配者で、最近の時流に追われてやりたくもない英語の勉強をしてTOEICの得点を高めようとしたが、なかなか伸びなくて困っている人のようだった。なんのことはない、自分の点が上がらないから、いかにも親切な忠告を装いつつ他人にも勉強するなと説いていたのだ。

自分には向かないと思って勉強を断念するだけなら、それは本人の自由。世の中には英語以外にもやるべき事柄はいくらでもあるのだから、自分に向いてないと思うことについていやいや努力する必要なんて全くない。しかし他人の勉強の邪魔をするというのであれば、話は別である。掲示板の他の参加者にその目論見をあっさり見破られ、かなり厳しい批判を受けたら、本人は今度は掲示板荒らしに豹変。いったい何を考えているのだろうか。

英語学習とは全然違う話だが、以前いた職場でも同様な光景を目にしたことがある。ある技術力のない『元』技術者が、同年代の現役のエンジニアに対して、「もう技術者としての腕を磨くのはあきらめて、社内の政治家になれ」と誘っていた。この場合は、単なる勉強の邪魔というより自分と同じような仕事をする仲間が欲しかったようではあったが、やはり、自分の欲望や思惑を隠しつつ、求められてもいない「親切な助言」を押し付けようという様子が露骨で見ていて気分が悪かった。

もし協力者が欲しいなら協力して欲しいと頼めばいいのである。助けてくれれば見返りに何かを渡すと取引を持ちかることができるなら、話はもっと進めやすい。冒頭に書いた例は論外として(自分の勉強を手伝ってくれと相手に頼むことはできても、相手に勉強しないでくれと取引を持ちかけることは無理だ)、後者の例でも、相手は即座に下心を見抜いた。親切な助言者を演じようとしても、騙すことができるのは自分自身だけだし、自分を騙してしまえば、もしかしたら得られたはずの協力まで失ってしまう。昔から言い古されているように「人の為」と書いて「偽り」と読む。偽善は、他の誰でもない本人にとっての阿片である。

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