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2005.05.16

日本語の辞書が欲しいと思う、今日このごろ

少し前から、あるサイトで日本のマンガの英訳を手伝っている。日本語の分かるネイティブ英語話者がいるので、最終的な英作文は彼らに任せればよい。私は、もっぱらオリジナルのマンガにある日本語の文章が言わんとしていることについて怪しげな英語で説明をしたり、熟語(たとえば「冥利に尽きる」のような表現)について意味や使い道を解説したりしている。

日本語の説明をしていて特に困るのが、ありふれた助詞の説明で、手元にある広辞苑なんかにはロクな情報がない。広辞苑は、このたぐいの言葉については、万葉集あたりから例文を持ってきている。1300年以上も前の例文を使って外国人に今の日本語を説明するというのは、少なくとも私には困難な仕事だ(例文の意味が、私に分からないこともままある)。

実を言えば、向こうがどれくらい詳細な日本語の解説を求めているのか、私はよく分かっていない。だが、彼らが作った訳文の中に誤訳を見つけたとき、頭ごなしに訂正するのではなく、「日本語の原文はこういう意味だ。文法的にこう解釈するのが正しい」と説明をするほうが好ましいと思う。それに、私自身、きちんとした英文を書けるわけではないので、英語として適切かどうか分からない訳文をいきなり出すよりは、内容の説明をして、作文そのものは彼らに任せたい。

英語の場合、英語を母語としない人のために特別に作られた、易しい英語で意味を説明していて文法事項の説明などについても特別な教育的配慮がなされている学習用の辞書がいくつも存在する。しかし、以前、『外国人のための日本語の辞書がない』にも書いたように、日本語の場合には、そのようなものは皆無といってよい。

『オックスフォード現代英英辞典』や『コウビルド英英辞典』に相当するような、日本語でかかれた日本語学習者用の辞書が欲しいと思う。

ひとまず、日本語教師の間で評判がいいという『明鏡国語辞典』を買ってみることにした。これは普通の日本人向けの辞書だが、日本語の文法の基礎的な事項に関する説明が非常に丁寧にまとめられているそうだ。

2005.05.12

「192.168.0.1は私のアドレス」の論理

「こんなバカな話があったよ」という類の与太話として、『あるコンピューター雑誌が載せたネットワークの解説記事に対して、「192.168.0.1 は私のアドレスだから勝手に使うな」と抗議があった』いう話を聞いたことがある。その記事では、ネットワーク機器の一般的な設定例として、この数字を紙面に載せていた。

192.168.0.0から始まるアドレスはローカルアドレスと呼ばれている。これは、インターネット上には割り当てられておらず、誰でもが自分の会社や家にあるパソコンに好きに割り当てて構わないとされている値である。誰でも自由に使っていいと規則で決まっているものだから、それを私有物であるかのように主張するのは無茶な話だ。

初めて聞いたときには、世の中には支離滅裂なことを言う人もいるものだな、としか思わなかったのだが、事情をちょっと調べてみて、そういう勘違いをした人の論理が理解できた気がする。

この人の購入したネットワーク機器(ルーター)は、LAN上のパソコンに対してこの数字を割り当てるように、出荷時から設定してあったのだ。(個人ユーザー向けの機種は、たいていそうなっていると思う。ルーターにつながっている1台目のパソコンは、192.168.0.1 か 192.168.1.1 になることが多い。)

それ自身は何の不思議もない。多くのルーターは、インターネット側に対しては、インターネットプロバイダが指示する値を名乗るようになっているが(そうでなければインターネットを使えない)、家庭内(あるいは会社内)のLANにつながっているパソコンに対してはローカルアドレスを適当に割り当てるようになっていることが多い。これは、インターネット上で使うことのできる有限のアドレスをなるべく節約するためのアイデアであり、またセキュリティの向上にも効果がある。

さて、くだんの人物は、ネットワークの接続を済ませた後で自分のパソコンの状態を調べてみて、これにルーターが192.168.0.1を割り当てていることを知ったようだ。ここまでは何の問題もない。問題は、「自分が購入した機械が、この番号を自分のパソコンに割り当てたということは、すなわち自分はこの番号を使用する権利をルーターメーカー経由で間接的に購入したのだ」と思い込んだ点にある。

ばかげているだろうか? 私はそうは思わない。携帯電話を買ったら、その電話番号も同時に買ったと考える。それと同じ理屈である。

インターネットの仕組みを知らないがゆえの間違いではあるが、論理的には一応の筋が通っているのだ。(賛成しているわけではありませんよ。)

お気の毒なのは、いきなり抗議を受けた雑誌の人である。最初は話の筋道がさっぱり分からず非常に困ったそうだ。まあ、その誤解を解くのも給料の内だとは思うけれど。

ところで、後半の種明かしを削ったほうがストーリーとしては刺激的だからなのか、あるいは単純に、変な苦情があったという第一報だけがクローズアップされたせいかのか、ネット上のうわさでは、もっぱら『頭のおかしな人が、支離滅裂な言いがかりを雑誌につけたらしい』と話だけ流通していて、どうしてそんなことになったのかという話を伝えているサイトは少ない。でも、理不尽な主張も調べてみるとそれなりの理由があったという点まで伝えたほうが面白いと思う。

人間は意外と論理的である。

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