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2004.12.04

どこにでもある英語帝国主義

日経ITPROという、コンピュータ技術者向けのニュースをまとめたウェブサイトに、こんな文章があった。
(以下、http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/NEWS/20041130/153291/ より引用)

日本はオープンソースの“ガラパゴス諸島”

 VA Linux Systems Japan マーケティング部 部長 佐渡秀治氏は「日本におけるオープンソースの幻想とVA Linux」と題して講演した。佐渡氏は「日本にはオープンソース・ソフトウエアを使う人はたくさんいるが,作る人がいない。オープンソースが注目されて5年が経過したが,日本の開発者の数は大きく増えてはいない」と述べ,「日本は英語という大海で断絶され独自の進化,あるいは退化をとげたオープンソースの“ガラパゴス諸島”」と表現。「日本に閉じるのではなく,グローバルに出て行くことが肝要」と指摘した.

(以上、引用終わり)

やれやれ・・・ 部分的には賛成できなくもないが、要するにオープンソースを使いたくば、卑しい原住民の言葉ではなく白い旦那様の言葉を使えと言うことなのだ。そんなことなら、マイクロソフトと取引したほうがマシである。MSのアメリカ中心主義も相当なものだが、少なくとも商売を進めるためには日本語に歩み寄らざるを得ないことを、少しは理解している。私がマイクロソフトの広報だったら、小躍りしてこのLinux関係者のコメントを宣伝に悪用するだろう。脇が甘すぎる。

おそらくは、英語と日本人技術者についていろいろと考えていて、よかれと思って発言したのだろう。それに、おそらくこの記事は、長い発言の中の一部分だけを切り出していて、全体としてはもっと違うことも言っているのだろう。そう、信じたいところだが、「英語を勉強して、日本におけるオープンソースの成果を日本国外にも広めてください」とお願いするのではなく、「お前らは異常だ。俺たちにあわせろ」と罵声を浴びせ恫喝することによって他人を動かそうとしてもムダである。

「人に物事をお願いするときに、指導者づらしてはいけない」というのは、交渉においてもっとも初歩的なことだろう。そんなことをすれば、相手から激しい敵意と反感を買い、以後のビジネスに甚大な悪影響を与える危険性さえある。

なるほど、日本語の壁が存在するせいで、せっかくよいものを作っても国外にはその存在さえ知られず、したがって評価の対象にもなれないという話はよく耳にする。技術開発に限らず、自然科学や文学の世界においても、そういう話はある。川端康成は、その作品をサイデンステッカーが英訳しなかったなら、ノーベル文学賞を得ることはなかったかも知れない。

しかし、川端康成に対して、「世界で評価されたくば英語で小説を書け」と要求した人はたぶんいないはずだ。そんなことをしても意味はない。もっとも、三島由紀夫はノーベル賞を意識して翻訳調の日本語表現を使うようになったらしいという話もあるが。

オープンソース活動は小説の創作とは違う。しかし、職務命令で従事する通常のソフトウェア開発とは多少異なり、作り手が、自分のために、自分が必要だから、自分の創作意欲を満たすため、自分が作っていて楽しいから作るという点において、自己表現を目指している部分があり、その点においては小説の創作と似ている。英語を使って情報発信をすればより多くの人の目に留まる可能性が出てくるが、そもそも、そういうことを望むかどうかは、作り手本人の心の中の問題であって、他人から強制されるようなものではない。作るも作らないも本人の勝手だし、何語を使ってドキュメントを書くのも本人の勝手だ。

それに対して、「せっかくだから私が英訳してあげましょう」と援助を申し出るならいざ知らず、英語を使えと命令するのは極めて愚かな行為である。代金を支払う商売として要求するならともかく、少なくとも、創作活動を促進することになるとは思えない。

翻訳やローカライズの作業は、手間がかかる割には評価されず、うまくできて当たり前失敗すると怒られるという、裏方の作業だ。作り手として華やかに脚光を浴びるわけでもないので、ローカライゼーションや国際化対応は、やりたがる人が少なく、オープンソースの弱点のひとつである。作り手の一般的な傾向として、自分の知らない国の知らない言葉について配慮するなどということは、面倒くさいしやりたくもない労働である。英語圏の人が英語以外の言語のために苦労などしたくないのと同様、日本人も日本語以外について手間をかけたいなどとはあまり思わない。

やりたいとは思われていない仕事をやって欲しい場合には、やってくれと頼むか、せめて、「やったほうが、あなたにとってもお得ですよ。ほら、こんなにいいことがあります」と甘言をもって誘引するのが普通である。ああそれなのに、こと英語に関する議論となると、なぜか「英語は国際語だから、英語に従え。日本語はダメだ、特殊だ」と、英語話者ではなく日本人自身が脅迫をかけてくる。いったい、どういうつもりなんだろうね?

英語を使ってもらいたいなら、ビジネスライクに、英語を使うことによるメリットを宣伝すればいいのだ。Rubyというコンピュータ言語を見ればいい。日本人が提案したプログラミング言語だが、早い段階から英語のドキュメントが整備されていたので、海外でもいち早く評価され、Rubyの価値を認めた何人もの外国人が詳細なRubyの解説書を作っている。試しに www.amazon.com で検索してみるといい。何冊も出版されているのみならず、それを購入してコメントをつけている人の中には非英語圏の国の人もいる。そう、確かに英語は国際語なのである。

そういう成功例を日本人技術者に見せ、「ほら、あなたにとってもいい話なんだよ」と誘引すれば、ひとつ英語でドキュメントを書いてみようか、という気にもなるかも知れない。大事なのは、英語のメリットを宣伝し技術者に売り込むということであって、「ガラパゴス諸島がどうだこうだ」などと生物学的に的外れなことを言って日本語を攻撃することでは絶対にない。

当該記事は実際の発言の一部しか伝えていないはずだから、もしかしたら、こういう話もあったのかも知れないが・・・ まあ、残念ながら、そんなことはないだろう。わざわざ「退化」という言葉を使っている点に、英語帝国主義者の本音が出ている。「進化」とだけ言ったのでは、脅しの効果がないからだ。

生物学とは無関係な分野に聞きかじりの進化論を引き合いに出すやつに、ろくな人物はいない。必ず自説に都合よく進化論をねじ曲げているし、自分は「進化している側」に所属していることになっている。ガラパゴスを引き合いに出すなら、「独自の進化をしたガラパゴスの貴重な生き物を、外来種と交雑させてはいけない」と主張するほうが常識的である。つまり英語圏と交わってはいかんということになる。それとも、かの人物は、「ガラパゴスの生態系は破壊すべきだ。それがガラパゴスの生き物のためだ」という持論の持ち主だろうか? まさかそんなことはあるまい。こけおどしの小道具として、進化論を振り回すのは勘弁してもらいたい。

新しい服を売り込みたいなら、新しい服の利点を宣伝すればよい。客が今着ている服をののしるのはバカであるし、客を客として認識することさえできないなら店はたたんだほうがよい。

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