スイカと Basic English
7月2日書いた文章の中で紹介した、『ベーシック・イングリッシュ再考』という本の43ページに、Basic English に関する的外れな攻撃の例としてこういう話が載っている。
「Punch 誌上ではしばしばベーシックをパロディー化し、わざと奇妙な英語にしたものを読者から募集して載せていた。Large のあげた例では、スイカのことを "large green fruit with the form of an egg and a sweet red inside" と表していた。Richards はこのようにベーシックをよく調べもしないで驚くほど間違った記述がなされ、それがまたベーシックをほとんど知らない人々によって広がっていってしまったことを後年大変残念がって記している。」
(この Punch 誌とは、時事問題などについて、かなりシャレのきついマンガや文章を載せるイギリスの風刺雑誌のことだと思う。19世紀の中ごろにイギリスで創刊された雑誌で、日本語の「ポンチ絵」という言葉も、この雑誌の名前に由来しているらしい。)
さて、正直な話、私は上に引用したスイカの説明を見たとき、そんなに奇妙だとは思えなかった。スイカとはどんなものかという具体的で分かりやすい内容であり、大いに結構ではないか。今の学習者向け英英辞典に載っている語義の説明だって似たようなものだ。例えば、コウビルドの説明はこうである: "A watermelon is a large round fruit with green skin, pink flesh, and black seeds."
というわけで、Punch 誌に載ったというこの文だけを見ても、特に Basic English に対する批判や攻撃であるようには思えない。
しかしながら、この "large green fruit..." が「雑誌が読者から募集した、わざと長ったらしく説明的に書いた例である」という事実には触れないでおいて、この文をコピーし、わざと変な英作文をしてみせて「Basic とは、こんな変なものだ」というような記事を雑誌に書いている京都大学の先生がいた。それはアンフェアな攻撃というものである。しかも 1940年代の話ではない。なんと今年の話だ。
私は、この人物は、意図的に出典を隠したわけでもなければ、悪意を持って Basic English を批判・攻撃したわけでもないだろうと思う。英語を商売にしている人ならともかく、この人には取り立てて Basic English を攻撃する動機はないはずだ。そもそも、その記事の内容は人工言語全般に関するもっと広い話題を扱っているものであって、Basic English は枝葉の一つとしてたまたま触れているに過ぎない。
とはいうものの、どうせ記事の本題とは関係ないのだから、事実を調査せずに変なことを書くくらいなら、余計な枝葉は最初から落としてしまうほうがいい。本題と関係ないことを書いて、せっかくの記事の信頼性を落とすことは私なら避けたいところだ。
50年前に記事を書いたならいざ知らず、現在ならインターネットで30分も調べればかなりの情報が手に入るはずだが、原稿を書くにあたってそういうことをしない。これは学者としてはいかがなものか? と、いう気がかなりするのだが、どうせ学会論文じゃあるまいし、通俗的な雑誌の埋め草というくらいに気軽に書いているのかも知れない(調べた上で故意に書いているなら、もっと罪は重い)。
もともとの出典はかなり古い。まさか、今ごろ Punch 誌からコピーしてきたとは思えないので(万一そうなら歪曲は故意だということになる)、そのへんに転がっていた孫引きの本からの孫引きだろう。そういうコピーがいくつもあるからこそ、冒頭に引用したような嘆き声が存在するのだ。実際、私は、20年くらい前に別の単語について似たような例を聞いたことがある。その前には、さらに別の人から、和訳された変な例(英語の原文はない)を聞いたような気がする。
そして・・・ 今年発売された雑誌を見た誰かさんが、いつかまたこれを孫引きして、Basic English に関する面白おかしい解説を書くに違いない。なぜなら、みんな面白い話が好きだから。
こういう「学者がへんてこりんな考えに取り付かれて失敗する」というストーリーは、ある種の都市伝説と通ずるものがあり、真実はともかく話し手や聞き手の期待と願望が込められている。雑談として楽しむ限りは罪のないものであるし、まあいいではないか。需要あるところに供給あり。「ヤツらは専門バカであり、オレたちは常識人だ」というのは、少なくとも人種差別や宗教差別を内包しているジョークよりはマシだ。私は、50年後に同じスイカの話を聞いても驚かないと思う。
今回の Basic English の件は悪意がない(に違いない)ので、たいしたことではない。英語全般について見渡せば、日本人がやりそうもない英語の誤用例を面白おかしく取り上げて、英語の勉強をしている人を笑いものにするような、遥かにタチの悪い本も出版されている(もちろん、誠実な立場から英語の誤用例を論じている本もある)。しかも、間違いとされているものが、実際にはアメリカで日常的に使われていたりするから情けない。あまりいい気持ちはしないが、しかし、こういう本の読者は、もともと英語を勉強する気などなく、単に酒の上での笑い話として本から仕入れた話を友人知人に語って聞かせるだけである。読者への実害はおそらくない。
しいて危険性を挙げるとすれば、この種の本はたいてい、「学校で教える英語は嘘だ」という読み手の願望を刺激するように書かれているので、これにひっかかった読者が、学校での教育の邪魔をする可能性はあるかも知れない。もし、私が英語教師であって、自分の教えている生徒や親がそういう本に毒されてしまったのであれば、私は何とか悪影響を取り除こうと努力するだろうが、幸いなことに私は英語教師でも英語学者でもない。誰かを指導する義務はないし、ましてや、世の中に粗製濫造されている英語関連の本に目を光らせて、いちいち出版社にクレームをつけようなどとは思わない。騙される消費者が悪いのである。
初めに『ベーシック・イングリッシュ再考』から引用した文の後半にある、「ほとんど知らない人々によって広がっていってしまった」という、I.A. Rechards の嘆きは、たぶん終わらない。だが、気にすることはないし、気にするだけ無駄である。
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