路上にグラジオラスの球根
この題名は、奇をてらったわけでも、何かの比喩を意図しているわけでもない。題に書いたとおり、我が家の前から最寄り駅に至るまでの路上に、グラジオラスの球根が全部で7つ、てんてんと落ちていた。
仕事場に行くため家を出る。数メートル歩いたところで、枯れ草か木の皮の固まりのようなものを路上に見つける。そのまま気にせず歩くと、さらに5メートルほど先に同じようなものがある。何となく見覚えがある色と形をしている。立ち止まって拾い上げてみると、それは、グラジオラスの球根であった。引き返して最初のものを拾ってみると、これもそうである。不思議なこともあるものだ。
それから再度向きを変え駅に向かって歩いていると、角を曲がったところに、さらにふたつ、10メートル先にひとつ・・・ 車に轢かれ、つぶれてしまっているものもあった。これはいったい何ごとか?
球根を拾い上げて観察してみると奇妙なところがある。いや、そもそも、真夏のアスファルト道路にこんなものが落ちているというだけでも十分奇妙なのだが、それはさておくとして、まず、これらの球根は、明らかに本来の収穫期よりずっと早い時期に掘りあげられたものであった。
グラジオラスの球根は1年限りで「使い捨て」である。球根は、そこから芽を出し葉を伸ばし花を咲かせると、最終的には栄養を全部使い果たし小さくつぶれてしまう。そして、今の球根のすぐ上に新しい球根が成長する。球根から伸びている茎が栄養をため込んで、新しい球根になるのだ。
したがって、グラジオラスを適切な時期に掘りあげてみると、葉と茎の下にはこの夏にできた新しい球根がつながっていて、さらにその下に干し柿のようにしなびた古い球根の成れの果てがくっついているはずである。もちろん、すべての球根植物がそうだというわけではなく、ヒヤシンスなどのように同じ球根が毎年芽を出すものもある。
さて、私が拾った球根は、まだ完全には栄養を使い果たしてない「古い球根」であった。ふたつほど、その上に新しい球根が付いているものもあったが、新しい球根は未成熟で、古い球根の三分の一くらいの大きさしかない。明らかに掘りあげるのが早すぎる。大部分の古い球根からは、その上にあったはずの新しい球根がむしりとられていたが、それらも、来年植えて花を咲かせることができるほどの大きさであったとは思えない。球根を掘りあげた人物は、いったい何を考えていたのだろう。あと1ヶ月は必要だったはずだ。
子供がいたずらをして、どこかの花壇を勝手に掘ってしまったのかとも思ったが、変な点がもうひとつ。根の乾燥ぐあいから見て、掘りあげられたのは昨日や今日ではないように思える。根はすっかり乾燥し、細くなっていた。掘ってすぐに捨てられたわけではなさそうだ。掘りあげてから数日間、どこかに保管してあったのかもしれない。気まぐれないたずらなら、掘り出してすぐに捨てるのではないだろうか。いちおう、何かを収穫する意図はあったようにも思える。
ところで、道路に数メートルおきにぽつんぽつんと捨てられていたのはなぜだろう? 拾い集めながら、「パンくずを点々とならべて小動物をワナに誘い込む図」を思い出してしまったが、これは本当になんだかよく分からない。
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