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2004.07.19

人類が最初に家畜化した動物

もちろん、人類が最初に家畜化した動物とは、人類それ自身にほかならない。

比喩的な話ではない。動物の一種としてみた場合、人類には、家畜化された動物に共通して見られるいろいろな変化---例えば全体に体毛が薄くなる、繁殖回数が増える、成熟までの期間が延びる---などが、たくさんある。それも、かなり極端にである。

人間という生き物が家畜の特徴を持っているという事実は、善悪とは関係ない動物学的なものに過ぎないが、人間が家畜に近い生き物であるならば(そうでないはずがない、と私は確信しているのだが)、『現代人は野生を失っている』などと嘆くのは馬鹿げている。1万年以上かけて家畜化してきた動物に、今さら野生を求めてもしかたないではないか。

現代人は人生の三分の一近い期間を教育にあてているが、教育とは要するに家畜の調教であり、「飼い主がいちいち監視していなくても強制しなくても、飼い主が決めたルールに従って自分から動く」ように仕込んでいるわけである。なお、ここで言う飼い主とは、親や教師のことではなく文明社会全体をさす。

ここで重要なことがひとつ。もともと子供は放っておけば自主的に手前勝手なことをしでかすものであり、本来なら「自分から動く」という点についてわざわざ教え込む必要はない。子供は目を離すと何をするか分かったものではなく、したがって教え込むべきは「ルールに従う」という点であるし、実際にも徹底的に教え込まれている。それは結構なことだが、長期にわたるこの調教によって生まれつき備えていた自主性を消滅させておいて、『今の子供には自主性がない』とは、いい気な飼い主たちである。

私は教育不要論を唱えているわけではない。ルールの強制も否定しない。そうしなければ文明は維持できない。今さら野生動物に戻るわけにはいかない。問題は、教育の結果としてもたらされた副作用を、あたかも子供の側の責任であるかのように論じる風潮である。調教どおりに動くようにしつけておいて、「調教どおりにしか動かない」と嘆くのは筋が通らない。

そして、これは子供の問題にかぎらない。大人でも同じことである。教科書がなくても教師がいなくても、学校以外の場であっても、大人同士であっても、人間は互いに調教しあうのだ。何かと引き合いに出される大企業の事なかれ主義も、不断の社員教育のたまものである。日本発の技術提案の少なさ、社会の構造改革が遅々として進まないこと、少子化・・・ いずれも日本の文明社会を維持すべくなされてきた広い意味での調教の結果である。何事にも作用と副作用があり、その区別は恣意的なものに過ぎない。

もし、現在の社会なり会社なりのありさまが気に食わないのであれば、更なる調教の追加を検討するするのも結構だが、まず現時点での調教がもたらしている副作用について検討すべきであろう。

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